ヨーロッパ紀行 第3夜 カンフラン

本日は、人生初の陸路での国境越え。

ルルドからポーという街へ。

そこから鈍行電車でオロロンサントマリーへ。さらにそこからピレネー山中へ侵入し、バスで峠を越えてスペインへ!!というわくわくの日程となっております。そんなわくわくの日なのです。

それなのに…。

ゴロゴロゴロ…。

…。

お腹の具合がもう誤魔化せないくらい、確実に悪化している。

昨夜はお腹から音が鳴っていただけだったのに、現在(ポーの駅)はトイレに駆け込みたいくらいせっぱつまっている。

『だ、だいじょうぶっすか?』

「うん…。大丈夫じゃない…」

旅の同行者、あやふみ氏が心配してくれる中、駅のトイレに駆け込む。

ぶっちゃけもう水だ。

あーっなにがルルドの泉だよー。なにが奇跡の水だよー。

正直、お腹がゴロゴロするなかで電車やバスに乗るなんて恐ろしすぎる。車内でぶちまけようものなら、フランス人の対日感情を著しく悪化させてしまう。正直な話ポーの街でホテルを取り、一日中ゴロゴロしていたいものだが、同じくらいルルドの泉をがぶ飲みした同行者あやふみ氏はどういうわけか元気なので行かざるを得ない。もしかしたら、彼に毒を盛られたのではないだろうか…。

ポー駅を出発したローカル列車は、一面の草原の中をゆっくりゆっくりと進んでいく。いくつも小さな村々をすぎて、ピレネー山脈へと向かっていく。停車する駅のほとんどは無人駅で、乗る人も降りる人もいない。

車窓を眺めながら、僕はふと思った。この風景、宗谷本線に似ている…。

さかのぼること4年前。大学3回生の僕は青春18きっぷで北をめざしていた。美瑛で3日過ごし、早朝の旭川駅を出発。お昼に名寄で乗り換え、利用客の見当たらない小さな駅をいくつも越え、どんどんどんどん北へ向かっていく。森の中、一面の草原の中、実に北海道らしい風景の中、列車は北へと向かっていく…。

宗谷本線の車窓と、ピレネー山脈へ向かうこの列車の車窓はほんとうによく似ていた。実にノスタルジックであゴロゴロゴロ…。

…。

いくらノスタルジックな気分に浸っていても、やはりお腹がやばい…。

ローカル列車の車両にはトイレがついていないことを、18キッパ―の僕は日本で嫌というほど学んだが、その点はフランスも一緒らしく、当然のようにこの車両にトイレはついていなかった。オロロンサントマリーまで、僕は地獄の1時間を過ごした。途中の駅での緊急避難も考えたが、そこはやはりローカル線。次の列車がいつ来るかわからない。さらにオロロンサントマリーから先のスペイン行きのバスも1日数本しかないらしく、僕のトイレのために国境越えを遅らせるなんて、できるわけがない。

オロロンサントマリーで下車した僕は、「ほぉ~ここがあのオロロンサントマリーかぁ~」と、ローカル線の旅を満喫している旅人の顔をしつつ、地元の乗客を全力歩行で次々と追い抜き一目散にトイレを目指した。トイレートイレはどこだー。

 

1時間ぶりに爽快な時間をトイレで過ごし駅へ戻ると、できる後輩あやふみ氏がすでにスペイン行きのバス切符を購入してくれていた。それと思われるバスもすでに駅前のバス乗り場に到着しており、乗客らしき人が数名並んでいる。あと10分ほどで出発する素晴らしきタイミング。トイレが長引かなくてよかった。

乗客の中には、なにやら魔法使いのような恰好をしたおばあさんもいた。帰国後にわかったことだが、オロロンサントマリーからスペインへ抜ける道は昔からの巡礼の道で、この道を旅する人がけっこういるらしい。昨日のルルドといい、ここらは聖地だらけである。

バスが出発してしばらくすると、今度はロバにまたがったお兄さんを2人発見。彼らもまた巡礼道を行く旅人のようだ。

日本の巡礼道の代表、四国遍路を歩いた経験を持つ僕にとって、同じ巡礼の旅をする彼らには親近感が湧く。ピレネー山脈越えはきっと、四国遍路の焼山寺越えのような、この旅随一の難所なのだろう。僕は彼らの検討を祈っている。

しかし、見知らぬ旅人の心配ができるほど周りをみる余裕が出てきたということは、はて、便意はどこへ?

確かに便意は喪失してきている。その要因は、オロロンサントマリーのトイレで至福の時間を過ごした結果、悪名高いルルドの泉が僕の中からついに出て行ったから、というと決してそうではなく、ピレネー山脈越えの山道がバス酔いを誘発した結果、便意を心配する余裕が消えて行ったのである。人間というのは不思議なもので、なにか一つ心配事が起きると、ちょっと前まで悩んでいたことなんか消え去ってしまう。歯が痛くてたまらない人も、便意を感じた途端、歯の痛みを感じなくなるらしい(本で読んだのだ)。今回の場合、バス酔い > 便意 となったのだ。

というわけで、ピレネー山脈を上っていくうねうね道にやられすっかりバス酔いになった僕は、とにかく外をながめて別のことを考えようと必死だった。その結果の巡礼論である。

というか「今回の場合、バス酔い > 便意 となったのだ。」ではない。とにかくあと30分、バスが到着するまで吐いてはいけない…。スペイン人の対日感情も悪化させてしまっては日本のみなさん申し訳ない。

こうして自分との戦いを繰り広げているうちに、バスはいつの間にやら国境を越え、スペイン最初の街、カンフランへあっさり到着した。初の陸路での国境超えは、よりによって便意と吐き気しか印象に残らなかった。感動もなにもない。

 

国境の町、カンフランは、ピレネー山中にある小さな街。街というか集落。山の斜面にスキー場が見えることから冬はリゾート地としてそれなりの賑わいを見せるのだろう。ただ、今は夏。正直、人の姿もまばらで閑散とした印象を受けた。

時間はすでに午後の4時半。ここから先へ向かう列車もバスも本日はすでに終了しているようなので、今晩はここで投宿。街に数件あるホテルでお決まりの宿泊交渉だ。

「オラ!(日本語のやあ!こんちは!にあたるスペイン語)」

「Do you have a room for tonight?」

『お、オラ?…。お、オラ?』

「?」

「どぅ、Do you have a room for tonight?」

『Ha?』

「は?」

あれ…?もしかして英語通じてない?

「どぅ、Do you have a room for tonight?」

『Ha?』

「…。」

やっぱり通じてない…。

そういえば聞いたことがある。スペイン人は英語が話せないって。

大学の友人がマルタ共和国へ語学研修で行った際、スペイン人は日本人と並んで英語レベルが低く、片言のスペイン語で会話した方が意思疎通ができたそうだ。

しかし、ここはホテルである。冬にはスキーリゾートとして大いに賑わうであろう立派なホテルである。しかも三ツ星。三ツ星ホテルのフロントのおじちゃん(めっちゃ私服)が英語を解さないというのはいかがなものか。(ただし、僕たちの英語レベルがただ単に低すぎて通じなかった説もあり。)

仕方がないので、僕らは得意の指さし会話帳を駆使し、試行錯誤の末何とかツインルームを確保したのだった。

 

さて、ホテルの確保が済んだら街へ繰り出すのが旅人のルールである。僕たちもルールにのっとりカンフランの街へ出かけたのだが、何度も言うがここはピレネー山中の小さな街。ホテルが数件とコンビニ的な商店が1件、Barらしきものが1件あるだけである。僕たちは明日の列車が出発する駅を見学し、河原で不思議なボールゲーム(キンボールというらしい)に興ずる住民をしばらく眺めたが、15分ほどでこの集落ですべきことが全くなくなったため、柄にもなくBarへ特攻することにした。

スペインではBarのことを「バー」ではなく「バル」と読むらしい。「地球の歩き方」によると、スペインではどんな小さな街にも必ずバルがあり、地元客と仲良くなるチャンス!なのだそうだが、完全人見知り主義な僕たちにとって、そんな場所は苦痛でしかない。余計なお世話だ。しかし他にご飯を食べる場所もない。

カランコロンカラン♪(扉を開ける音)

「お、オラ…」

ちらっ(店内にいる人たちの目線が僕らに集まる音)

「ふ、二人で…」

『フッ、日本人か。そこらへんにすわりな』

果たして店主が僕らのことを日本人とわかったのかは不明だが(上の会話は9割ぼくのなかの妄想なので)、とりあえず入店成功。次は注文である。

地球の歩き方」によると、たいていのお店はカウンターにお皿に盛り付けされた料理が並べられているため、それを指させば注文可能となるそうだ。

なるほど、たしかにカウンター前にはいくつかのお皿に乗った料理が並べられていた。

なんの料理なのかはさっぱりわからないが、まずは丸い揚げ物(コロッケのように見える)のお皿を指さした。

『ほぉ、日本人わかってるじゃないか。まずはコロッケだよな。』

店主はそう言って(たぶん言っていない)コロッケのお皿を2つ出してくれた。

味の方は…。

普通だ。普通にコロッケ。しかも微妙に冷めている。正直おいしくはないが、まあこんなものだろう。コロッケをあっというまに完食。さあ次の料理だ。

再びカウンターへ赴く僕たち。

しかし、先ほどまでカウンターに並べられていたいくつかの料理は、コロッケのお皿を一つ残し、すべて消え去っていた。

『ほぉ、日本人そんなに冷めたコロッケが気に入ったか。ほれ持ってきな。』

店主に進められるがまま、再び冷めたコロッケを食す。だって、カウンターにない料理の頼み方なんてしらないもの。「地球の歩き方」に書いてないもん。

僕たちにとって「地球の歩き方」がこの世界のすべてだった。

冷めたコロッケを合計三つずつ食したのち、何とも言えない冷めた気分で僕らはバルを後にした。

出ていく際、お客の誰かが「コンニチハ」と日本語っぽい言葉をかけてきた。国際交流のチャンス到来。

でもそれがどうした。育ちざかりの僕たちにとって、夕食コロッケ3個は少なすぎる。ちなみに、腹痛のため、僕はお昼をほとんど食べていない。お腹を空かせた僕らは、ピレネー山中の英語の通じない三ツ星ホテルで眠れぬ夜を過ごした。