ヨーロッパ紀行 第7夜 パリ

六日ぶりにパリへ戻ってきた。空はどんよりと曇っており、なんだか肌寒い。灼熱のスペインから戻ってきた短パン男子にとっては酷である。

とりあえず初日に泊まった宿へ再びチェックインし、夜行列車の湿気でべたべたになった体をシャワーでリフレッシュだ。

『僕、昨日眠れなかったっす…』

同行者のあやふみ氏がボソッとつぶやく。

『僕のベッドの下のおじいさんがしきりに話しかけてきて…』

なんでも同部屋のフランス人じいさんから一晩中話しかけられた挙句、早朝に到着する駅で起こしてくれなどと頼まれたらしい。人の好い彼は、見知らぬじいさんの睡眠時間を犠牲にし、見知らのフランス人のモーニングコールとなったのだった。

ちなみに、あやふみ氏とは6日間ずっと行動を共にしてきたにもかかわらず、この旅行記であまりにも登場回数が少なかった。それは彼が最高に無口だからであり、加えて僕もそこそこ無口なので、会話しているシーンが極端に少なかったわけである。いまさらだけど。

 

この日は眠たい無口あやふみ氏とは別行動、僕は一人でパリ市内を歩き回ることにした。

まずはセーヌ川沿いを歩きオルセー美術館へ。中学時代の美術の成績が4(10段階だ)だった僕に印象派なんぞわかるわけがないのだが、ゴッホやミレーなど、一度は聞いたことのある画家の絵が満載であり予想以上に楽しめた。特にルノワールの絵が僕の心をとらえて離さず、ある1枚の絵の前にすわり何十分も眺めていた。不思議といつまでたっても飽きないのである。間近で見ると絵の具?をべたべた塗りたくった、絵には全然見えない物が、少しずつ離れていくとだんだんと絵に見えてくる。その感覚が実に不思議だった。

また昔のパリの街を描いた印象は絵画もあり、現在とほとんど違わないことにたいへん驚いた。

柄にもなく芸術に触れた後は、パリの街外れの丘の上に立つサクレクール寺院へと向かった。一見イスラム教のモスクのようにも見える白く巨大な建造物。そこからはパリ市内が一望できた。青空に映えるパリの街は驚くほど美しかった。

フランスの首都であり、200万人以上の人口を擁する大都市パリ。しかしながら、高台からみた市内に高層ビルはほとんどなかった。ヨーロッパの街は新市街と旧市街にはっきりと分かれていると昔の地理の授業で聞いた。旧市街はいわば観光地として保存され、住宅やオフィスは郊外の新都心へというわけだが、パリ市街を一望してそれがよくわかった。日本では、旧市街も新市街も混在しているところが多く、分かれているところはほとんどないのではないか。例えば京都なんか、旧市街と新市街でわかれていればもっと魅力的な街になっただろうに。

パリの街を眺めながらめずらしく真面目なことを考えていると、ちょいちょいと服の袖を引っ張られた。なにごとかと思い振り返ると、そこにはニコニコ顔のフランス美女が…。なんだなんだ?どこかでお会いしましたっけ?動揺している僕をしり目に、彼女はニコニコしながら一枚の紙を見せ、しきりに何か書くように促してきた。

う~ん…。わからないっす。

まさかこんな簡単な英語も分からないとは思わなかったのだろう。彼女は一瞬いらっとした顔を見せながら(いらっとしてもかわいい)、『書いてほしいなあ♡』と言わんばかりのキラキラとした目でペンを渡してきた。

あらためて紙をよく見てみると、「50€ ○○○○(人名)」のように書かれていた。かわいい顔してペンを渡してくるので、しかたなく同じように「50€ ○○○○(僕の名前)」と書いてみる。すると彼女は満面の笑みで右手を差し出してきた。

は?なんだなんだ?握手でもしたいのですか。

僕が手を差し出そうとすると、ちがう!といわんばかりに険しい顔(険しい顔もかわいい)になり無言で何かを主張し始めた。

…。あ、金出せってことか。

僕の想像だが、彼女はきっと耳が聞こえないためしゃべることができない。そんな私たちのために募金を!ということらしい。たぶん。

えー50€?たかいなあ…。でもこの子めっちゃかわいい。50€あげたくらいで彼女と仲良くなれるなら、いくらでもあげちゃう♡

そう思い財布に手を伸ばした瞬間、

『No!!No!!Go away!!(向こういけ!!)』

僕の隣で景色を眺めていたアメリカン野郎が急にしゃしゃり出てきた。

『そいつは詐欺師だ!Japanese払っちゃだめだ!!』

えらい剣幕でフランス美女に食って掛かるアメリカン。

それに美少女が反撃。

『あんたには関係ないでしょ!!Japaneseが50€って書いたんだもん!!』

…。

お姉ちゃんしゃべっちゃった…。しゃべれないって理由で寄付を募ってたのに…。

激しい言い争いを続ける2人。そして完全に蚊帳の外の僕。

このままでは僕のせいで彼らの対米感情、対仏感情が悪化してしまうので、僕は彼女の手からペンをとり、€を¥に書き直し、50円玉を見せた。どうだ、これなら文句あるまい。

彼女はあっけにとられていたが(あっけにとられた顔もかわいい)、怒りは収まらないらしく、ぷんっ!!って感じでどこかへ行ってしまった。

『ふう…。Japaneseあぶなかったな。あれは詐欺師だ。気をつけなくてはいけないぜ。』

アメリカンは一仕事終えた感満載で僕に話しかけ、どこかへ去っていった。

余計なことを…。せっかくフランス美女と仲良くなれるチャンスだったのに。アメリカ人というのは世界情勢にしろ今回のことにしろ、本当に余計なことばかりしてくれる。

その後、フランス美女との再会を願い周辺を歩き回ったのだが、周辺には売れない画家や大道芸をやってるアフリカ系移民の兄さんしかいない。

このあたりはモンマルトル地区といい、昔から画家が住み着いていた芸術の街とのこと。オルセー美術館で見た多くの有名画家もここで下積み時代を過ごしたそうだが、そんなことはどうでもいいから、僕はもう一度フランス美女と会いたい。

結局フランス美女との再会はかなわず自棄になった僕は、宿に戻り、無口あやふみ氏を誘ってホテル近くのモンパルナスタワーへ夜景を見に行くことにした。男二人でパリの夜景を眺める。これはある意味事件である。

しかし、タワーからの夜景は予想以上に美しかった。まわりに高い建物はないため(精々エッフェル塔凱旋門くらい)はるか遠くまで宝石を散りばめたようにキラキラ煌めく街並みが広がっていた。それはとても美しかった。15分に一回くらい、エッフェル塔がキラキラきらめく演出もパリらしく悪くなかった。

大変ロマンチックなパリの夜景を眺めながら今回の旅は終わった。まさかの男二人での夜景観賞から1年後、僕は1人でパリを再訪することになる。