ヨーロッパ紀行 第14夜 ハルシュタット 

来てから知ったことだが、オーストリア第3の街リンツは、なんとあのアドルフヒトラーが育った街らしい。とんでもない街に来てしまった…。帰国後『オーストリアでどこへいったの?ウィーン?』と尋ねられた際、「ヒトラーの育った街、リンツです」などと答えようものなら、ナチス支持者と思われて、友達を続けてくれないだろう。しかし、そもそも僕には友達がほとんどいないので、その心配は杞憂である。なんだこの話…。

あわてた僕は、翌日、リンツ中央駅より列車に飛び乗り、オーストリアアルプスの田舎町、ハルシュタットを目指した。オーストリアの思い出をヒトラーだけにするのは大変危険である。

リンツから1時間ほどの駅でローカル線に乗り換えると、列車は大変のどかな風景の中を進んでいった。遠くには雄大オーストリアアルプスの姿が見える。

僕が目指している田舎町・ハルシュタットは、世界遺産にも登録されている湖畔の村。なんでも「世界で一番美しい湖畔の街」と言われているらしい。チェコからオーストリアにかけて、一体いくつ世界一を称する街があるのだろう…。

 

僕はこの街の存在を、日本の旅行会社のパンフレット写真で知っていた。雄大な山のふもと、湖畔にたたずむかわいらしい街。オーストリア初上陸で、「地球の歩き方」も持っていないにも関わらず、僕の頭の中にはそのかわいらしい街の風景が残っていた。

列車を降りると、その忘れられない雄大な風景が、僕の目の前に広がっていた。ハルシュタット駅はホントに小さな無人駅。そしてハルシュタットの街は湖の対岸にあるため、なんとここから渡し船で渡るのである。

大きな荷物を抱えた韓国人の女の子たちを満載した船に乗り込み、対岸までは3分ほどで到着。船を降りると、まるでおとぎ話のようなメルヘンチックな街が広がっていた。背後にそびえる山と湖のほんとにわずかなスペースに街は位置しているため、家々は斜面に段々に立ち並んでいる。家々の間からは、雄大な山々と湖を望め、まるで別荘地のようだ。

街の一角、高台の景色の良い少し開けた場所には美しい花で彩られた墓地があった。敷地には物置のような建物があり、管理人らしきおばちゃんに勧められるがまま入ると、なんと中は骸骨だらけ。僕はお化け屋敷が嫌いなので下手すると漏らしかねない事態なのだが、よくよく説明板を見てみると、どうやらここは納骨堂とのこと。ハルシュタットは土地が狭く、墓地にも限りがある。そのため埋葬後一定期間たった後掘り出し、骨だけをここに収めているらしい。そしてこの風習は何百年も続いているそうだ。あまりの歴史の深さに僕はたまげてしまった。

墓地からもどり再び湖畔沿いを歩いてみたが、噂に違わず、ほんとにこの街は美しかった。そして最高にメルヘンチックで、同じ船でやってきた韓国人の女の子たちはキャピキャピして喜んでいた。

僕もキャピキャピ喜びたいものだが、こんなメルヘンチックな街で短パンの男がキャピキャピしていたら事件なので、大人しく露店でケバブを買い、湖を眺めながら一人さびしく過ごした。その後、湖畔で取材していたテレビクルーの周囲をうろうろし、オーストリアのテレビに無事出演を果たしたのち、再び渡し船にのり、ハルシュタットを後にした。なにをしに来たんだ…。

この旅で、「世界で最も美しい街」と呼ばれる場所をいくつか訪れたが、ハルシュタットは湖畔の街ということで、いままで訪れたプラハチェスキークルムロフなどとは違う素晴らしさがあった。渡し船で渡らないとたどり着けないのも旅情を掻き立てられる。日本ではあまりお目にかかれない街だった。

 

再び列車を乗り継ぎ、ヒトラーの街・リンツへ帰還。あらためてホテルを探すのがめんどくさいため、昨晩のホテルに向かったが、なぜかトラブルがあり一悶着。朝に連泊の旨を伝えたはずが、やはり僕の英語は伝わっていなかったようで部屋に入れなかった。今回の旅はとにかくこんなことばかりである。

そんな旅の思い出をかみしめながらリンツの街を歩いた。明日の夕方にはフランクフルトから帰国便が飛び立つため、今日がこの旅最後の夜。

リンツの街中はカラフルな建物が多く、わくわくしてくるような明るさがあった。落ち着いた雰囲気のチェコやドイツなどとはまた違った雰囲気がオーストリアにはあった。

街はずれにはヨーロッパを代表する大河、ドナウ川が悠々と流れていた。地図を見ると、この川は遠くルーマニアまで流れていくそうだ。夕暮れのドナウ川を眺ていると、ちょっとしんみりとした気持ちになってくる。

 

さて、夜ご飯にケバブでも買い、ホテルへ戻ろうかと街を歩いていると、道端で突然日本語で話しかけられた。

『オイ!お前日本人か?』

振り返ると、パッと見レミオロメンのボーカルのような風貌をした若者が近づいてきた。

『オイ!日本人か?』

「は、はい、そうです…」

『俺のママ日本人だから、日本語勉強してる。お前俺と話せ。』

「…。」

なぜ彼はこんなにもけんか腰なのか。

しかし、彼に悪気はない。きっと彼に日本語を教えた人物がこんな話し方なのだろう。

『お前、フェイスブックのアドレス教えろ。』

「すみません。もってないんですけど…」

『なに!なんでもってない!』

「そんなことを言われましても…。」

『じゃあ俺のアドレス教える!連絡しろ!』

「わ、わかりました…」

そういうと、彼は去っていった。

なんだったのだろう…。

 

謎の青年から脅迫された翌日、早朝の列車に乗り、僕はドイツへ戻った。

途中、あの挑発的な寿司屋のあるニュルンベルクに寄り道しながら、午後3時ごろには、無事にフランクフルトへ到着した。歴史を感じさせるたたずまいの中央駅から空港まで、地下鉄で10分ほどという大変便利な空港だが、見事に乗る方向を間違えた僕は、よくわからない田舎駅で降り、ホームで一人途方に暮れていた。

この旅では途方に暮れることが多かったなあ…。

そんなことを考えながら今回の旅は幕を閉じた。