ヨーロッパ紀行 第15夜 ベルリン

3度目のヨーロッパの旅は、前回の続きであるフランクフルトからスタートした。前回、前々回の旅とはことなり、直行便ではなく、初のヘルシンキフィンランド)乗り換えのため、フランクフルト中央駅に降り立つころには夜の9時を過ぎていた。

当初の計画では、あくまでドイツは通過点であり、本来の目的地はおなじみのパリ。パリの往路便が満席で、仕方なくフランクフルト着の便にしたわけだ。6日間の旅である。フランクフルトからパリなんて行こうと思えば1日で行ける距離。でも、のんびりとパリを目指そうではないか。

そんなことを考えながらフランクフルト中央駅についた僕に、ふと悪魔がささやく。

ドイツの首都・ベルリン。現在では300万人を超える人口を擁するこの近代的な大都市は、わずか30年ほど前には、分厚いコンクリートの壁で分断されていた。ベルリンンの壁である。冷戦の象徴とも言うべきこの壁は、1989年、東ドイツのある政府関係者の勘違いにより、一夜のうちに破壊されてしまった。そしてその勢いのまま、わずか1年で東西ドイツは再統一されたのである。

学生時代、ドイツ法の授業でその話を聞いて以来、その現場を一度この目で見てみたいと思っていたっけ…。

 

そして翌日。僕はベルリンの壁の前に立っていた。

フランクフルトからICEで5時間。相変わらず悪魔のささやきに弱い僕は、本当にベルリンへやってきてしまった。新幹線で5時間は、日本でいえば東京~博多なみの距離である。

ちなみに、ベルリンはドイツの北東部にある。(フランクフルトは南西部。)正直な話、ヘルシンキ空港からのほうがよっぽど近い。

この時点で、パリまでは最短でも2日はかかる。離れてどうする…。

 

大学生以来、8年間思い焦がれたベルリンの壁は、要するにただのコンクリートの壁であった。

歴史的背景を少しでも知っているため、多少の感動はあるかと思われたが、壁は壁である。しかも、住宅街の片隅にある公園にひっそりと建っているため、当時の趣が伝わるわけでもない。このコンクリートを見るためだけに、フランクフルトからわざわざ5時間もかけてきたというのか…。

 

とはいえ、ベルリンの街は首都だけのことはあり、多くの人たちであふれていた。いままで訪れたドイツの街は、観光地だったこともあり、観光客が多かったが、ここベルリンはビジネスマンのような、明らかに観光客には見えない人たちが多くみられた。

2006年ドイツワールドカップの際にあらたに作られたベルリン中央駅から近郊電車にのり、ベルリンの郊外へと行ってみることにした。

冷戦の時代、ベルリンは壁を挟んで東ベルリンと西ベルリンに分かれており、それぞれにターミナル駅があった。再統一後も、しばらくはそれぞれのターミナル駅を残していたそうだが、如何せん使い勝手が悪いとのことで、ちょうどベルリンの壁で分断されていたあたりに新たにターミナル駅が新設された。これは観光客にとってはなんともありがたいことである。なにせ、西ベルリン側のターミナル駅の名前が「動物園前」ときている。一見さんにはわかるわけがない駅名である。

そんなことを駅のホームで考えていたため、「ヘイ、Japaner、切符の買い方がわからないならオレが手伝ってやるから、5ユーロよこしな!」というおじさん(たぶん詐欺師)の誘いにも気づかず、彼から舌打ちというベルリンの洗礼を浴びせかけられたのち、普通に電車に乗り、共産時代に建てられたマンションが立ち並ぶ住宅街っぽいところで途中下車。駅から少し歩いた通りには、いわゆる蚤の市がたっており、時間つぶしにぶらぶらと歩くことにした。なんといっても、ベルリンに来たのはコンクリートの壁を見るためだけであり、正直、これ以上ベルリンですることがないのである。

蚤の市には、生活雑貨や衣類が多く目立ったが、それらにまじって昔の切手や本などを売る店があり、しかもそれをよく見るとヒトラーが印刷されていたのだからびっくりしてしまった。

たしかドイツにはナチスに関する本などを売ってはいけないという法律があったはずだけど、通り沿いのこんなに目立つところでヒトラー関係のものを売っているとは正直びっくりである。ちょっとほしい気もしたが、これが原因でドイツ警察に逮捕されるのも嫌なので、しぶしぶ断念だ。

その後は、有名観光地であるブランデンブルク門(何のための門かは不明)を遠目から見学し、ベルリンの若者に大人気という名物「カリーブルスト」(ウインナーにカレー粉をかけたとってもしょっぱい食べ物)を食べ、時差ボケにやられたこともあり、ホテルでゴロゴロしながら過ごした。せっかくベルリンまで来ておきながらこの体たらく。3度目のヨーロッパの旅もこんなもんである。