台湾リベンジ 第2夜 台中

2008年1月16日

ハッと目を覚ますと、時計の針はなんと10時を指していた。まずい、初日から大寝坊である。

昨晩、ホテルのテレビをつけると、坂口○二主演のドラマ『医龍』が放送されていた。台湾ではケーブルテレビが主流であり、その中には日本のドラマやバラエティなんかを永遠と飽きもせず流す局が3つもある。

しかも、それぞれの局がうまい具合に別のドラマを流し始めるからたまらない。『医龍』が終わると、隣の局では見たこともないCAがモデルのドラマが始まる。しかも、悔しいことにこのドラマが絶妙に面白い。観月○りさ主演の『CAとおよび!』とかいう初見のドラマを堪能してさあ寝ようかと思い、ふとチャンネルを変えると、今度は先ほど終わったはずの『医龍』の再放送が始まっていた。これがまた、さっき見たばかりだというのに面白い。

見終わる頃には午前2時をまわってしまい、いい加減僕の眠気も限界点を突破。歯を磨きベッドにもぐる前にふとチャンネルを変える。すると、今度は再び観月ありさの登場だ。なんだなんだ、寝かせない気か…。日本では2ケタにも届かない低視聴率ドラマ(帰国後に検索した)になぜここまではまってしまったのか。いまだに謎で仕方ないのだが、これが台湾マジック。結局、僕は最近めっきり露出の減った観月ありさに夢中になりながら一夜をすごしたのだった。

 

時間ぎりぎりに食堂に駆け込み朝食をとったのち、ようやく街に繰り出す。

もうすでに11時をまわっていた。観月ありさの呪縛から逃れるように、まず僕は台中行きの切符を買うべく台北駅へと向かった。

僕にとっての大事な友人ともいえる『地球○歩き方』によると、台中は台湾第3の大都市であり、もっとも晴天になる確率の高い街らしい。

事実、『りんごちゃん新聞』の週間天気欄でも、台湾のなかで唯一晴れマークがついているのだ。

無類の雨男の僕にとって、台中はうってつけの街といえる。なんせ、数ヶ月前に知り合いの教授に頼まれて某ゼミ生の四国お遍路体験で先導役をやった際、連日雨を降らせ楽しい実習を地獄に変えた実績をもつ僕である。

教授『まだ晴れ間出てるけど、雨が降りそうだから早く出発しよう!』

みんな『はい!』

教授『それではO川君お願いします!』

僕「了解しました教授!(威勢よく外に飛び出す)」

天気『ザーーーーッ』

こうだもん。

僕が一歩外に出た途端大雨だもん。あの時のみんなの嫌そうな顔といったら。

 そんなことをしているうちに台北駅の上空にどす黒い雲が広がってきた。急がなければ…。

 と、駆け足で切符売り場へと向かう僕の前に見慣れない案内板が姿を現した。

 

台湾高鐡 → コッチ

 

そういえば噂できたことがある。台湾では日本の新幹線技術を取り入れた新型鉄道が開業したらしい。そういえば1年前に来た時にはまだ工事していた気もする。

天安門に夢中になりすぎてスリにあったことにも気付かないくらい、新しいものには目がない僕である。早速矢印のほうへ駆けていくと、日本でもお馴染みの、タッチパネル式切符自動販売機が置かれていた。

過去2回の台湾の旅で乗車した列車は、基本的にどの駅でも窓口で切符を購入する方式だった。近距離用の自動販売機はあった気もするけど、予約が必要な長距離列車はすべて窓口だった。

そのため、僕は『台中 1票』と書かれたメモを手に握りしめていたのだが、タッチパネル式自動販売機があるならなんてことはない。

画面を覗き込むと、早速『English』ボタンを発見。なんといっても、僕はいま外国人、さっそうと『English』ボタンを押す。

うぅ…、分からない…。

普段英語をまったく使っていない人間が、外国に来たからってすぐに英語を使えるようになるわけがない。「ほんやくこんにゃく」を食べれば話は別なんだろうけど、残念ながら現時点ではどこにも売っていない。そして孫の孫がドラえもんを派遣してくれる気配もない

大人しく、僕は最初の画面に戻り、通常の中国語のまま画面操作を行うことにした。悔しいことに、中国語は例の3つの言葉しか話せない癖に、『English』バージョンよりスムーズに画面操作ができてしまう。やはり僕は漢字文化圏の人間なんだ。漢字ってのは実に偉大だ。なんとなく意味わかっちゃうもの。おかげですんなりと切符購入完了。

 

さて、無事に切符を買うことはできたが、まだ出発まではだいぶ時間がある。僕は自動販売機そばのコインロッカーにバックパックを預け街へと出かけることにした。

北京では天安門広場、上海では夜景の見える旧居留地、そして湯布院ではダイエー近くの河川敷といった具合にここ台北でも毎回と言っていいほど必ず訪れる場所が僕にはある。

駅前の横断歩道を渡り、しばらくまっすぐすすみ突き当りを右へ。ちょっといった交差点を左に曲がり、さらにしばらく歩くと、それは姿を現す。いまや方向音痴の僕が地図を見なくてもたどり着けてしまうようになってしまったお気に入りスポット、台湾総督府である。

日本統治時代の建物をそのまま使用しているこの巨大な建物に、初めて台湾へいった僕は魅せられてしまった。それからというもの、台北に来た際には必ず(といってもこれが3度目だけれど)ここを訪れてしまう。1年前は深夜バスに乗る前、夜の11時頃にこのあたりをフラフラと歩いていて、機関銃をもった警備兵に尾行されたんだっけ。

懐かしさでいっぱいの総督府、しかし1年前となにやらビジュアルが違っていた。写真をみればわかるのだけれど、総督府は中心に大きな塔が立っているのが特徴的な建物。その中心にそびえる塔になにやら垂れ幕が。

『 台 灣 加 入 聯 合 國 』

そこにはそう書いてあった。

そういえば、台湾が『中華民国』ではなく『台湾』という名で国連加盟を目指しているというニュースを見たことがある。いまの総統が反中国の民進党からでていることもあってやっているんだろう。

大陸の中国へと行ってみて、台湾とは全くと言っていいほど違う国だという感想(主に対人関係を比較して)を持った。基本的に、もう大陸の気質とは違うんじゃないかしら。中華人民共和国とはもちろん違うし、60年前に大陸から渡ってきた中華民国とも全く異なる気がする。いまの台湾は。だから、僕は台湾名義での国連加盟に大賛成です。

でも、たしか数日前に行われた国会議員選挙みたいなので、民進党大惨敗したらしい。このまま次期総統選挙でも民進党が負けて国民党が勝ってしまったら、国連加盟の話はどうなるのだろう…。

というか、2大政党制ともいえる台湾では、選挙のたびに前政権が批判されて政権交代がおきるので、そのたびに台湾独立に対するスタンスがコロコロ変わるから、なかなか前進しないのではなかろうか?

 

珍しく真面目な雰囲気になってきたので、この勢いで僕は、近くにある『二・二八事件記念館』へと向かった。

二・二八事件』とは、1947年に起きた台湾民衆と中華民国政府の大規模な抗争のこと。

日本が戦争で敗れたことで、台湾は中華民国(当時は共産党政権じゃなかった)に返還されることになり、大陸から多くの中国人がやってきた。

しかし、この中国人がひどかった。道端につばは吐くはゴミは捨てるわ。勝手に人のもの盗んだり、人の敷地に家を建てたり。水道を初めて見るような連中だったそうだ。

本当の祖国に戻れる!と、台湾の人たちも初めは喜んだが、大陸から渡ってきたこの連中を見て一気に幻滅。だって50年にわたる日本統治時代の中で、礼儀や考えなど日本の精神を教えられてきたのだから。

『これなら日本のほうがよかったじゃん…』

台湾の人たちの不満は日に日に大きくなっていったそうだ。

そして1947年2月27日、台北で市民と警官の間でちょっとしたいざこざが起き、警官の発砲により何の罪もない一般人が殺されてしまう。

これに対し、日頃から政府に対する不満を募らせていた民衆の怒りがついに爆発!集団となって政府の機関を襲うという行動にでた。そして、翌2月28日は、民衆がラジオ局を占拠し、台湾全土に向けて蜂起を呼び掛けた。『台湾人よ!立ち上がれ!』と。

と、いう事件なんだけれど、その蜂起を呼び掛けた放送局(ちなみに元のNHK)というのが、ここ、『二・二八記念館』になっているわけだ。で、ここまでは出発前に本で得た知識なんだけれど、実際にこの記念館で分かったことが一つ。『台湾人よ!立ち上がれ!』というあの放送、なんと日本語で言ったそうだ。

なんとも他人事とは思えない話だ。そして、なんとも切なくなる話である。こういう話を、日本でももっと学校とかで教えてもいいんじゃないかしら。

結局、この事件は、中華民国政府の武力介入により鎮圧され、多くの民衆が命を落とした。50年間、日本人として生活してきた人々が何万人も虐殺されてしまう。とてもじゃないけど他人事とは思えない。

外へ出ると、総督府に掲げられた例の垂れ幕が目に入った。国連加盟というのは、要するに、「台湾として独立を果たす」ということでもあるんだろう。中華人民共和国の中に組み込まれるのではなく、60年前に共産党に敗れ渡ってきた中華民国として独立するのでもない。まったく新しい『台湾』として独立する。60年前に命を落としまで政府に抵抗した人々の悲願がもうすぐ果されるのかもしれない。

 

さて、いろいろ勉強になったところで、今日のメインイベント『台湾新幹線乗車』のお時間が迫ってまいりました。半分忘れていて、むしろ台中なんてどうでもいいんじゃないかとの思いはある。だって台湾来て台中へ観光する奴なんかきいたことないもの。

それでも最後の気力を振り絞り急いで台北駅へ戻り、コンビニでしっかり駅弁を買い込みいざ乗車!

と、その前に、コインロッカーに預けたバックパックを取りに行かないといけない。僕は、コインロッカーの暗証番号の書かれたレシートを財布から出し、コインロッカーへと走った。

日本のコインロッカーと言えば、都会でも田舎でも鍵タイプのものばかりだけれど、台湾では暗証番号タイプが主流らしく、日本人(僕だけか?)はちょっと戸惑う。使い方は、ロッカーに荷物を入れ、投入口にお金を入れ、荷物をしまったロッカーの番号を一覧から選びボタンを押す。すると鍵がかかり、暗証番号の書かれたレシートが出てくる。この暗証番号を、ロッカーについている電卓のようなものに入力すれば鍵が開くのである。日本の鍵バージョンに慣れているものからすると、いちいちめんどくさいし、レシートを無くしてしまいそうでちょっと危なっかしいんだけれど、ここは台湾。

郷に入っては郷に従えだ。

ピッピッぴ…   ← 電卓に入力する音。

…。

…。

何も反応しない。

ピッピッぴ…   ← もう一度入力している音。

…。

…。

う~ん…。

ピッピッぴ…   ← さらに入力している音。

…。

…。

…。

おいっ!

 

何回入力してもロッカーは開いてくれなかった。

だから鍵バージョンがよかったんだよ…。開かないじゃないの…。

時計を見ると列車の時間が刻々と近づいてきていた。

まずいぞ。あの中には着替えと、関空で買ったけど今となっては邪魔でしかない『週刊ベース○ール』と、サークルの後輩が『これめっちゃおもろいですから』とか言って貸してくれた推理小説?みたいなものと、100均でかった飴とか、こうやって書いてみると本当にどうでもいいものしか持ってきてないんだなあと悔しくなって、この際放置してもいいんじゃない?と心の中で思ってしまうけれど、とにかく焦っていた僕は、駅構内に観光案内所があるのを思い出し走った。

そこは、1度目の旅で、新入生ながら英語が堪能だったうちのサークルの女の子を使って総督府までの道を聞き出すことに成功した思い出の場所。彼女が英語で聞き出している間、部長の僕は後ろで写真を撮っていたので今でも場所がわかってしまう。

 『This is don´t open!』

案内所にはおばちゃんしかおらず、果たして英語が通じるのか不明だったが、とにかく必死だった僕は、暗証番号の書かれたレシートを指さし、文法めちゃめちゃな英語を連呼した。

『Oh Wait a minutes.』

おばちゃんは流ちょうな英語でクールに返答し、どこかに電話をかけた。通じた…。

 しばらくすると、掃除のおばちゃんぽい人がやってきた。僕は彼女をコインロッカーへと連れて行き、再び『Don´t open!』と連呼した。

『わかったから静かにしなさいよ…』

掃除のおばちゃんは、いかにもそう言いたそうなクールな目で僕を一瞥すると、そのクールさからは想像できないほど力強く、ロッカーを殴りつけた。

 『ガコン!!』

おぉ、なんだ、おだやかじゃないな。

そういえば、ドラえもんの世界では故障したテレビをそんな風に直していたけど、ここはドラえもんの世界ではない。

そんな漫画みないな方法で開くわけn…

 『キイィ~』 

なんとも間の抜けた音を立てながら、ロッカーは開いてしまった。

おぉ…。あんた何者だよ…。

『これでいいんでしょ?忙しいんだからくだらないことでよばないで』

いかにもそう言いたそうなクールな目で僕を一瞥すると、掃除のおばちゃんは力強い足取りで去って行った。

 着替えの入ったバックパックをとり戻した僕は、今日のメインイベントの会場である台湾新幹線のホームへと向かった。なんとも釈然としない気持ちになりながら…。

 

台湾新幹線、正式名『台湾高速鉄道』は、日本の新幹線技術を世界で初めて取り入れた高速鉄道。というわけで、実際に乗車してみるとそのソックリさに不思議な感じがする。日本と同じ車両を使っているのだから当然と言えば当然なんだけれど、座席に荷物棚、トイレや電光掲示板、何から何までソックリだった。車窓もどこか日本と似ている。違うのは、電光掲示板と車内アナウンスが中国語で、車内販売のお姉さんが一礼しないことくらい(日本の売り子さんは、車両を出て行く時、自動ドアの前で一礼する)。

 台北から50分ほどで台中に到着。いやあ、あっという間すぎて感想いう暇もなかったね!

『メインイベントとか煽った割に感想7行しかねえじゃねえか』

 『どうせ寝てて、最初の10分くらいしか覚えてないんでしょ?』

そう思わ入れても仕方がない。

なにせ僕は眠いんだ。観月ありさの魅力にかなわなかったんだもの。

 

台中からは、鈍行列車に乗り換えて市内へと向かう。

 台湾新幹線が日本の新幹線と最も違うところは、街のはずれに駅があって、その駅から市内までの交通手段がショボイところかもしれない。

 台北から高雄までを結んでいるこの鉄道、実は在来線を走らせている国鉄とは別の会社。日本はJRが新幹線を走らせているので、在来線とくっついた駅がほとんどで乗り換えもスムーズだけれど、台湾新幹線はいわば私鉄。国鉄と同じ駅舎にすることができなかったみたいで、いずれも街の端っこに停まる。新富士とか三河安城を思い浮かべると分かりやすい(静岡、愛知県民にしかわからないローカルな例え)。

しかも、市内までの交通機関が路線バスやタクシーなんてところもあるらし

くけっこう不便。台中は国鉄の在来線の駅がすぐ横にあるので、まだ便利(でも本数少ない)だけど、それでも台中の中心に出るにはさらに20分くらいかかってしまう。

 従来の特急列車で3時間かかるところを50分で走っちゃうんだから、市内までの行くのに不便!なんて文句言うのは罰あたりかも知れないけれど、めったに利用しない一旅行者としてはちょっと改善してほしいものだ。

 

通勤電車のような味気ない列車にゆられること20分、ようやく到着した台中の駅前は、台北、高雄には及ばないものの、さすが台湾第3の人口を抱える街だけあってそこそこ発展していた。空を見上げると、台北とは打って変わって青空が見える。雨男の呪縛にも負けていないようで、まずは作戦成功…。

 

さっそく駅舎を出て、隣のほうにあるさびれた雑居ビルへと向かう。そう、これから本日の宿探しをしなくてはならないのだ。

思い返せば一年前、台北で宿探しに失敗した僕は深夜バスで高雄へ流され、そこから塀東、台東と宿を見つけることができず流浪の民と化した結果、結局、日本語の話せるおばちゃんのいるお馴染みの宿目指して、一日で台湾を3/4周して花蓮へと向かう奇行にでたんだった。正直、ビビりの僕にとって、日本語の通じない場所での宿探しは鬼門である。なんせ食堂に入るのだって躊躇してしまうほどだ。

いや、しかし僕はこの1年でだいぶ成長したはずだ。韓国の慶州では、4年間落とし続けた韓国語の授業で培った語学力で見事にゲストハウスに泊まれたではないか。

そして上海では、万里の長城でもらってきた風邪に(霊に?)苦しんでフラフラになりながらも、ユースホステルの最高級の部屋を確保できたではないか。

台中駅の横にある雑居ビルには『達欣大飯店』という看板が掲げられていた。

ここしかない…。

狙いを定めた僕は、勢いよく『達欣大飯店』の扉を開けた。

 「Do you have a room for tonight?」

 『ハァ?』

 よし、予想通りだ。

僕の英語が通じないのは韓国、中国で確認済みだぜ…。

 すかさず僕は、手にしていた、切り札である『旅の指さし会話帳』の『ホテルに泊まろう!』というページを開き、『今晩お部屋はありますか?』の部分を指さしながらフロントの中年女性に見せつけてやった。

『HaHaHa! Ok!Ok! Single room?』

「Yes!! Single room!」

よしっ、やった!

苦節1年。宿探しという鬼門を突破した瞬間である。

ここまで長かったなぁ…(ちょっと涙ぐむ)。

 フロントのおばちゃんが『800元』と書いた紙を見せてきた。

ああもう800元でもなんでもいいよ。泊めてもらえるならさ。

 しかし、鬼門を突破したことで明らかに調子づいていた僕は、あろうことか、再び『旅の指さし会話帳』を手に取り、今度は『もう少し安くしてください』というフレーズをおばちゃんに見せつけるという暴挙にでた。

 飛び込みで宿を確保できただけで上出来なのに、あろうことか値切りを始めやがった。なんという身の程知らず…。旅先で調子にのるとろくなことがないことを、今までの経験から分かっていないのだろうか。

 挑発的な僕の態度を見たおばちゃんは、フロントにいたもう一人の中年女性と何やら相談をしてからフッと笑みを浮かべ、一気に捲し立てた。

『Oh! This room~』

英語だ…。

僕が英語を全く解さないのを知ってか知らずかのおばちゃんのまさかの反撃。値切るなんて高等手段、やめておけばよかった。

おばちゃんの英語を当然理解できない僕に残された手段はただ一つ。

「おっOkェ…」

相手の言ったことに、ただ同意するのみである。

 

僕にあてがわれたのは、ビルの上のほうの見晴らしの良い部屋だった。そして、もらった領収書には、どういうわけか850元と書かれていた。800元を値切ろうとしたのにどうして50元高くなっているのかしら?ミステリーだ。

 落ち込んだ気分のなかテレビをつけると、僕をあざ笑うかのような観月ありさの笑い声が聞こえてきた。