台湾リベンジ 第6夜 高雄

2008年1月20日

ここ台南には、神様になった日本人がいた。

「神様になった」といっても、別に宗教団体の教祖になったわけではない。死後に神様として信仰の対象として祀られた日本の兵隊さんが台南にはいたのだ。

 昨年、台湾へ初めて行った際に訪れた豊田村。そこで目にした日本統治時代の数々の遺構。それに衝撃を受けた僕は帰国後、本やネットで台湾各地に残る日本時代の足跡について調べまくっていた。その際に偶然見つけたのが、今回訪れようとしている『飛虎将軍廟』なのだ。

しかし、神様に祀り上げられ信仰の対象になるなんていうのは、日本で言ったら学問の神様として有名な菅原道真さんと同レベルといえる。

しかも台湾という異国の地で日本人が信仰の対象となっているというのだから、これは同じ日本人としてご挨拶しに行かなければならない。

ちなみに、神様になった日本人にご挨拶をしたのちは、台南の隣町にあるという日本統治期につくられた建物を現在も使用し続けている駅も探しに行く予定だ。

 

 と、気合いをいれて街に飛び出したはいいけど、日本にいるときにネットでちらっと調べただけで、しかも地図を印刷するのを忘れたまま旅だってしまったもんだから『飛虎将軍廟』がこの台南の街のどこにあるか知らない。これはまずい。

というわけで、台南駅前の観光案内所でまずは情報収集だ。

「つぁお!(『早!』おはよう!って意味)」

『あらあら日本のお兄ちゃん。なにか御用かしら?』

「実はわたくし、ここへ行きたいと思っております」

『え~っと、飛虎将軍廟。お兄ちゃんあんた見かけによらず真面目なところへ行くのねえ』

「もちろんです!」

『まあ何言っているのか分からないけど、飛虎将軍廟へはあそこにある路線バスにのってここの停留所でおりるのよ』

「路…線…バス…?」

『そうよ、路線バスにのって…、あ、もしかしたら路線バス恐怖症かしら?』

「(コクリ…)」

『まったく情けないお兄ちゃんねえ…。じゃあタクシーの交渉してあげるから、ちょっとそこで大人しく待ってなさい』

「ハイ…」

何を隠そう、僕は路線バスという乗り物が大の苦手なのだ。

理由の一つは料金の支払い方法の難解さ。京都みたいにどこまで行っても同じ料金というのなら問題はないのだが、僕が過去旅した場所(国内、海外問わずだが)は多くが料金変動制だった。この変動制の厄介なところは、料金が全く読めないというところ。到着間近になり、お金の用意を始めているというのに突然料金が跳ね上がり物凄く焦る。そして料金自体も大抵690円とか340円とか最高に切れの悪い額を要求してくる。なぜ700円にしない?350円じゃダメなのか?だって10円玉ないじゃん…。といった経験をあらゆる場所で経験したおかげで、僕はすっかり路線バス恐怖症となっていた。

 それに加えて、万が一乗り間違えた場合、バスは取り返しのつかないことが多いのだ。これが地下鉄なら、間違いに気付いた段階で下車し、反対側の列車に乗ることで危機を脱することができる。しかし、バスの場合はこうはいかない。間違いに気付いて次の停留所で降りたとしても、地下鉄のように反対側へ向かうバスにすぐ乗り換えることはなかなか難しく、さらに乗ったばかりなのにすぐに降車ボタンを押そうものなら『ちょっと、あの男、絶対に乗るバス間違えてる、きもい』なんて車内の女子に思われること必至である。

『ちょっとお兄ちゃん、なにぶつぶついってるのよ。タクシーの手配できたわよ』

「あ、は~い」

観光案内所の前には一台の黄色いタクシーが停まっており、30代後半くらいのいかにも南国っぽいおじちゃん(半袖のポロシャツ着てサングラスしてた)が僕の到着をいまかいまかと待ち構えていた。

『この人が飛虎将軍廟まで200元で連れて行ってくれるそうだから、大人しく乗ってなさいよ!』

観光案内所のおばちゃんはタクシーの運転手と料金の交渉まで行ってくれていたらしく、僕は大人しくタクシーの後部座席へと乗り込んだ。

 

さて、タクシーは台南駅前から中心街の雑踏を抜け、次第に住宅街のような、いかにも地方都市といった感じの街並の中へと入って行った。『地球の~』によると、台南の観光スポットは大きく2つに分けられるらしい。1つは台南駅周辺地域でここには古い廟などが多く集まっている。そしてもう一つは、台南の西の端、もう少しで海に出ようかというところに広がる地域。ここは台湾が清国の領土になるよりもっと前、大航海時代まっただ中にオランダの連中が上陸した地域だそう。それまで原住民族しか暮らしていなかった台湾にはじめてやってきた侵略者はここに城を築き、台南からこの島を自分たちの支配下に置こうと活動を始めたらしい。ガイドブックなどで台南が古都などと表現されるのはこのためである。

 台南を訪れた観光客はこの2つの地域を訪れるのが定番となっているようだが、チャラチャラした女子大生が好む旅とは180°違う旅を好む僕は、両地域のちょうど中間にあたる間違いなく観光客が訪れなさそうな場所でタクシーをおろされた。

『OK!日本人、ここが飛虎将軍廟だ』

目の前には例の台湾式の派手な装飾が施された廟が建っていた。日本人が祀られているのだからもう少し日本風の落ち着いた建物なのかと思っていたんだけど…。これにはちょっとびっくりだ。

『それじゃなあ、しっかり勉強しろよ~』

運転手の兄ちゃんは僕を降ろすとさっさと帰ってしまった。

あれ、これ勝手に建物の中に入っていいのかしら…。運転手の兄ちゃん帰っちゃったけど、帰りはどうしたらいいんだろ…。

 建物の外でしばらくうろうろしていると、廟の中から1人の老人が現れた。

『おやあ、あんた日本人か?』

おお!日本語だ!そう、この人こそ、この廟の管理をしているおじいさんなのだ。

『まあそんなところに立っていないでお上がりなさい』

おじいさんの言葉に導かれるように僕は廟の中へと入って行った。

 廟の中は外観と同じくいかにも台湾の廟といった感じの派手な作り。しかし他の廟と明らかに異なるのは、日本でいう仏壇のようなものの横に日の丸が掲げられているところだ。

『ここはなぁ、戦時中にこの村を自らの命を捨ててまで守ってくれた杉浦少尉を祀っているのだよ』

おじいさんは、椅子に座りこの廟の由来を話し始めた。

 

 終戦間近のある日、台南上空で日米両軍による空中戦が勃発した。米軍の圧倒的な戦力に押され劣勢に立たされていた日本軍はここ台南でも大苦戦。零戦は次々と米軍機に撃ち落とされていった。

 そして、あろうことか、その中の一機が台南のはずれにある集落めがけて落下してきたのだ。このまま墜落してはこの集落は大惨事になってしまう…。

 人々が最悪の展開を覚悟したその時、落下してきた零戦は機体を急上昇させ東へ飛びたっていった。

 

『この集落を守るために、墜落させまいと頑張ってくれたんじゃろなぁ』

 

結局、集落への墜落を避け飛び立っていった零戦は、その後村はずれで墜落。機長の杉浦少尉も亡くなってしまったそうだ。

 あの時、集落の上空で脱出していれば、もしかしたら少尉は助かっていたかもしれない。それなのに、自分の命を捨ててまで集落を守ってくれた…。

 戦後、その勇気ある行動に敬意を表し、集落の人々は廟を建て、杉浦少尉を集落の守り神として祀り始めたのだそうだ。

 

 こういう話こそ日本の学校でもっと教えるべきなんじゃないかなあ。確かに植民地として台湾を支配していたのは事実だし良くないことなのかもしれないけど、植民地の、それも軍事工場でも何でもない小さな集落を自分の命を犠牲にしてまで守る。

しかも、村人がそれに感謝して神様として祀り続けている。日本と台湾の絆の強さを物語るいい話だと思うのだけど。こんな話、世界中探してもなかなかないんじゃない?しかも、台湾にはこの手の話がたくさんあるらしいし。もっと日本でも伝えていくべきだと思うんだけどなあ。

「戦後60年も経過しているのに村で守り続けてるってすごい話ですね…」

『いや、それがお祀りしてからいいことづくめでのお』

「?」

おじいさん曰く、この廟を建てて毎日拝んでいたところ、商売は上手くいくわ、宝くじは当たりまくるわ、もう村人全員ウハウハなんだそうな。

…。

ま、まあ、神様を守り続けていくにはそれなりのご利益も必要だよ!なんか最後にオチみたいなのがついちゃったけど、日本だって同じようなもんだもん。いくら拝んでも受験に失敗させられまくっちゃったら道真さんも左遷されたおじさんにすぎないわけだし、ひとっつも儲からないんじゃお○荷さんはただのキツネだもん!!

 

 話し終えると、おじいさんはわざわざ帰りのタクシーを呼んでくれ、待っている間にジュースやお菓子を、そして最後にはオリジナルのお守りまでプレゼントしてくれた。

『日本帰ったら友達にもここのことおしえてあげてなぁ』

うぅ…、ごめんよじいちゃん。友達がいない孤独な男でごめんよ…。日本中に伝えたいけどこんな駄文しか書けない男でごめんよ…。きっと司馬○太郎先生なら素晴らしく明快な文章でここを紹介してくれるんだろうけど…。

お詫びも兼ねて、僕はおじいさんに写真を一枚撮ってあげた。

『また来ることがあったらこの写真頂戴ねえ』

タクシーに乗りこむ直前、おじいさんは僕にそう言った。

 

 さて、無事に台南駅前へ戻ってきた僕は、駅のコインロッカーにバックパックを預け台南市内をしばらく散歩。観光スポットの一つ孔子廟のとなりにある公園のベンチに座り、途中のセブンイレブンで買ったお弁当で腹ごしらえすることにした。

 台南は、街中にヤシの木やガジュマルの木が茂っていて南国の雰囲気満点。しかも、一歩小さな通りに入ると、噂どおり小さな廟が至る所にありなかなか雰囲気がよかった。

気温は25℃で、歩いていると汗がダラダラ流れてくるが、ガジュマルの木の陰に入ると不思議とひんやりとしており、時折吹いてくる風がなんとも心地よい…。

そういえばガジュマルの木には『きじむなー』がいるんだ。おばけじゃなくてガジュマルの木に昔から住んでいる子供なんだ。

えっ?ちゅらさん見てないの!?見てない。ああそう。

 

 さてガジュマルの木の下があまりに気持ちよく、ついでに『きじむなー』にあえるかも?という期待もあり、昼飯後も通行人に嫌そうな目で見られながらしばらくベンチでゴロゴロして過ごしていたのだが、いつまでたっても『きじむなー』は出てきてくれないので、次の目的地である日本統治時代に作られた建物が残る『保安駅』へと向かうことにした。

 保安駅は台南から列車で一駅。日曜ということもありかなり混雑している普通列車は、どういうわけか走り出してからもドアが閉まらず、座席に座れなかった乗客たち(僕も含めて)は外に放り出されぬよう手すりつかまり、目的の駅へ生きて到着するために必死で戦い続けるのだった。

 命からがら到着し列車から降りると、ホームの外にはヤシの木畑が広がっていた。改札は自動改札ではなく駅員さんが一枚一枚切符を回収していく。そして噂の日本統治時代の駅舎は…。

 まあ…、普通かなあ。

木造の駅舎の中にはベンチが4台ほど置かれ、奥には駅員さんの控室があり、その隣には自動券売機も設置されていた。思ったよりも現代的だった。

さすが感動が薄いとまわりから言われまくる男である。日本統治期に作られた歴史ある建物を今でも使用しているという物凄い事実に気の利いた感想もいえない。

こんなもんならちょっと駅前を見てさっさと次の列車にのって高雄へ行こう!もう夕方だし。

 そんなことを考えながら一歩駅舎を出た瞬間、僕の思考は完全に停止した。

 

駅舎から延びる一本の道…。

 

その両側には木々が生い茂る…。

 

子供たちは声をあげて遊び、一匹の犬が道路の真ん中で昼寝している…。

 

傾きかけた太陽の光に照らされたその何気ない風景は、まるでそこだけ時が止まてしまったかのように懐かしく、僕はしばらくその場に立ったまま動けなかった。

 昨年の夏、初めて台湾へ来た際に訪れた豊田村。そこで襲われた何とも言えない懐かしい感覚。ここ保安駅で再びその感覚に襲われていた。

「なんか…、すげえな…」

 我に返った僕は、前の一本道をしばらく歩き後ろを振り返ってみた。

そこには一本の大きなヤシの木と素朴な駅舎が並んで立っている。

本当に何気ない風景である。しかしまるで日本統治時代の台湾にタイムスリップしたかのような不思議な感覚に僕は襲われていた。80年前の人もいまの僕と同じ景色を見ていたのだろうか…。

道路脇のベンチに腰かけた僕は、しばらくその景色を眺め続けた。

台南に近いこともあり列車は20分おきくらいに到着し、その都度お迎えの車や原付バイクが僕の前を通り駅前はにぎやかになるが、しばらくすると再び静寂が訪れる。そのギャップがなんとも心地よく、僕は何度も列車を見送りその雰囲気を楽しんだ。

 

 さて、予想外に感動した保安駅で1時間以上も感傷に浸っていたため、高雄に着くころにはすっかり日も暮れていた。駅前のネオンの輝きはまるで日本の地方都市のよう。

しかし今日は内容の濃い1日だった。神様になった日本人にご挨拶をし、ガジュマルの木の下で昼寝をし、とある小さな駅で日本統治時代に思いをはせる…。まるで紀行文のよう。『深○特急』かよ。

 昨日までとはまるで違う、『深○特急』のような旅を満喫した僕は(どこがだ)、前日までの苦労がうそのようにあっさりと宿を決定し颯爽と夜市目指して歩いて行った。

 夜市というのは台湾独特のシステム(だと思う)であり、広場や道路なんかに食べ物や雑貨の屋台が多数集結している。日本でも神社の祭りなんかで屋台出るけれど、台湾のすごいところは、そのお祭りの規模がバカみたいにでかく、しかも年中無休で夕方から翌朝まで営業しているというのだ。この夜市、台湾のそこそこ大きな街へ行けば必ず存在している。そして、ここ高雄にある六合夜市は、台湾中に数ある夜市の中でもトップクラスの規模と品ぞろえを誇るのだ。なんてたって駅から数分のところにあるわりと大きめの道路を何百メートルも歩行者天国にしているんだもん。いったい屋台の数いくつあるのよ?そのくらい規模がでかいのだ。

 さあ、さっそく夕食の時間としようではないか。

 屋台にはメニューが掲げられており、万が一なくても商品が並べられているのでそれを指させば食事にありつくことができる。

おっ、あれはタコ焼きかい?こっちはかき氷!あら、ラーメンなんかもあるの?

日本の屋台と言えば、お好み焼きやフライドポテト、焼き鳥など歩きながら食べられるものが多いけど、台湾ではラーメンやご飯もの、果物のパック売りなどあらゆる屋台が集結している。もちろん、ラーメンやご飯の屋台にはテーブルや椅子もあるのでご心配無用だ。

 

夜市を満喫しお腹いっぱいになった僕は、CDショップや本屋で時間をつぶし宿へ戻ることにした。時刻は夜の9時。夜はまだまだこれからであるが、台南でも言ったように僕は夜遊びを好まない健全な男であるため(ホントだよ)、さっさと宿に帰りひきこもることにした。

しかし、昨日に引き続きすることが全くない。日曜なので今日もテレビ番組は休日編成であり、ありさに出会うこともできない。

ひまだ…。

なにかおもしろいものなかったかなあ(ゴソゴソ)。←カバン漁ってる音

…ん?

おっ、これはもしかして…。

ストパーだ!(たぶん)

そうそう、昨日の夜に前髪を切りすぎちゃってセレソンサッカーブラジル代表)入りできそうなくらいチリチリな前髪になってしまった僕は、台南出発前に駅前の薬局でこれを発見し思わず購入してしまったのだ。

よ~し今夜はこれで時間をつぶしちゃうぞ。

さてまずは説明書…。

え~この1剤をつけて40分放置して…

40分!?ちょっとながすぎじゃねえか…。

市販のストパーを使ったことのある方ならその異常さに気付いてくれると思う。日本で市販されているストパーは、普通10分ほどで薬剤を洗い流すのである。

それを40分って…。ハゲるんじゃねえかなあ。大丈夫かな…。

…。

湿気の強い台湾向けの製品なんだからきっと長いんだよね。そうだよそう思うことにしよう。よ~し、これでまっすぐな髪の毛を手に入れよう。

意気揚々と風呂場へ向かう一人の男。翌日、この旅最大の危機が彼を襲うこ

とを、この時はまだ知るはずもなかった。