台湾リベンジ 第12夜 台北

2008年1月26日

 

ビュッ!

カキーン!

ビュッ!

カキーン!

 

よし、まずまずだな。

筋肉痛にも負けず、早朝からバッティングセンターでトレーニングを積む日本(から来た大して野球経験のない旅行者)代表。

今日は花蓮を離れる日。

ホテルの受付でお金を支払い、例のおばちゃんに花蓮駅へ向かうタクシーを呼んでくれとお願いしたところ、

『あんた、まだ出発には早いんだから!ちょっとそのあたりを散歩してきなさいよ!』

という素敵なオプションを提案された。

正直、この周辺は3年連続で歩き回っており、特別行きたい場所も残されていないのでこの提案はお断りする予定だったのだが断れるわけがない。

というわけで、仕方なくそのあたりを散歩していたところ、例のバッティングセンターが早朝から営業しており、客もほとんどおらずガラガラだったため、この早朝トレーニングを敢行することになったのだ。

しかし3度目の訪問になっても花蓮は最高だな。

昨日は『奇人』とか酷いことを言ったもんだけど、3日間過ごしてみるとそのよさがよくわかる。なんというか、他の台湾の都市に比べて落ち着くのだ。

『ぼっちで台湾』でも書いたけど、戦前に日本人がたくさん暮らしていたことも関係するのだろうか。昔懐かしい感じがなんとも心地よいのである。

お、そろそろ駅に向かっておいたほうが良い時間だな。

時間を確認し、この旅で最後となる一球を打つためにバッティングセンターのゲージに入る。

 

ビュッ!

カキーン!

 

ネットを突き破るほどの痛烈な当たり。打球はぐんぐん伸び見事ホームラン…

とは行かず、バッティングマシーン前に転がるピッチャーごろとなった。

 

『おかえりー、タクシー呼んでおいたでね~』

早朝トレーニングから戻ると、宿の前にはすでにタクシーが止まっていた。

というか、この宿の隣はバスターミナル兼タクシー待機場なんだから自分で交渉してもよかった。

「3年連続でお世話になりました」

なんだかんだ3年連続で大変お世話になった宿のおばちゃんに一礼。その後、一緒に写真を撮ることにした。

『あら~こんな若いお兄ちゃんと写っちゃっていいの~!?』

そんなことをいいながら肩を組んでくるおばちゃん。

完全にノリが大阪である。

しかし、花蓮という街が本当に居心地がいいのは、やはりこのおばちゃんのおかげなのかもしれない。

どんな旅人に対しても、こんなにフレンドリーに接してくれる人はなかなか出会えるものじゃない。

『気をつけてね~、いってらっしゃ~い』

おばちゃんの熱い声援に見送られ、僕は花蓮を後にした。

さて旅もあと4日で終わる。台北までは列車で3時間ほどのところまで来ているが、時間はまだまだある。

残り4日を台北で過ごすことも十分可能だが、どうせだったら、旅の前日に台北入りし、見事に台湾一週完了!ついでにリベンジも完了!と、キレイに旅を締めくくりたい。

というわけで、今日は列車で、台北花蓮のちょうど中間に位置する宜蘭まで行くことにした。1時間半もあれば着ける距離だが、途中下車でもしながらのんびりと行こうではないか。

今日は宜蘭、翌日は台北近郊の大人気スポット九份あたりへ、そして帰国日前日に台北入りし、世界一の高さを誇る台北101でものぼって台湾を制覇。最終日には余裕を持って帰国便に乗ろう。

我ながら完璧な計画だ。

なんせ昨年は台北で宿探しをするのが嫌だったので、帰国前日の夜に宜蘭近郊のめちゃくちゃ汚い温泉に地元のおやじどもと一緒に浸かり、最終列車で深夜0時過ぎに台北に到着。その後は夜の台北の街を徘徊し、総統府を守る警備兵にライフルで狙われたため駅前のマクドナルドへ避難。そこでホームレスのおじちゃんたちと一夜を過ごしたんだっけ。

いま思うとなんてバカバカしい時間の使い方。

言っておくけど今年はそんなことにはなりません。計画は完璧だし、宿探しも1人でできるもん。しっかりプラン通りに旅をおわらせるのだ。

 

花蓮発の鈍行列車に乗った僕は、『武塔』という駅で途中下車をした。実はこの駅のある集落にはある逸話が残されている。

日本統治時代、この村にサヨンという1人の少女が住んでいた。年は17歳。美しく気立ての良い女性だったのかどうかは良く知らないが、とにかくそんな少女がここには暮らしていた。

さて、ある日のこと、この村に駐在していた日本人の警察官に召集令状が届き、出征することになった。その巡査は学校の先生も兼任するなど大変できた人で、村を離れる際には若者たちが荷物運びなどをかってでるなど村人から慕われていた。

で、その荷物運び隊に少女サヨンも参加したわけだが、折りしもその日は天候が悪く、途中の川を渡る際に増水した川に飲み込まれ、彼女は命を落としてしまった。

この話は、『出征する恩師を見送るために少女が命を落とした』ということで、台湾総督(日本政府の出先機関)により愛国美談として広められ、サヨンの生まれたこの村には慰霊碑やら色々と建てられることになったそうだ。

そして、この話をネットで発見し、大して感動したわけではないんだけれど、日本統治期の遺構に妙に興味がわいてきていた僕は、わざわざ鈍行列車に乗りこの無人駅に降り立ったのである。

外は雨が降っている。まさにサヨンが命を落とした日と同じ。なにか運命的なものを感じるではないか。

駅の外に出てみると、家が数件ちらほらと見える。慰霊碑のようなものは…、見当たらないなあ…。

まあ自分の足で歩いて探そうよ。これが旅ってもんだよ。

 

そして30分後…。

 

雨が強さを増す中、宜蘭へ向かう鈍行列車に乗り込む1人の日本人がいた。

いやあ、見つからなかったねえ慰霊碑。

まあ仕方がないよ。雨も強くなってきたし。靴がびちょびちょになるのはいやだもん。

ちなみに、捜索開始から2分で強さを増す雨に断念し、誰もいない駅のベンチで1人寂しく過ごしたのはここだけの話だ。

 

そんなわけで、およそ40分の武塔滞在(内30分は駅のホーム)を満喫し、鈍行列車で向かうは今日の目的地である宜蘭。

早くも目的地についてしまうけど、雨が強いのだからしかたがない。

宜蘭でさっさと宿探しをして、街をぶらぶらするのが得策というものだ。

昨年は滞在時間1時間ほどでこの街を離れてしまったから、今回はじっくりと散策しよう。

車内で車掌から切符を購入し、うつらうつらすること1時間、鈍行列車は宜蘭へ到着。

列車を降りると向かい側のホームに台北行きの特急列車が停車していた。

これに乗れば1時間ちょっとで台北に着いちゃうんだな…。ちょっと感慨深い。10日以上旅してきて、ぐる~っと周って、もう台北がすぐそこまで来ているんだ。

といっても、今の僕には全く関係ないこと。なんといっても今日は宜蘭の街を満喫するんだから。さあ、宿探しに行こう。

 

…。

そして1時間半後…。

 

雨の降りしきる台北駅前で宿探しに奔走する1人の日本人がいた…。

…。

じわ~っと台湾一周完了しちゃった…。

どういうわけだろう。なにがあったんだろう。宜蘭の改札を抜けた僕は真っ直ぐ切符売り場へと向かい、台北行きの切符を購入。すぐさま回れ右をし、再び改札をくぐってしまったのである。自分の意思とはまるで逆の行動。誰かに操られているかのような…。物の怪の仕業?

しかし、来てしまったものは仕方がない。それよりもまずは宿探しをしなくては、昨年の悪夢の再来となってしまう。

はっきりいって台北で宿探しをしたのは、サークルの連中とはじめて台湾を訪れた時以来である。その時には、中国語が堪能な女性部員が我々を導いてくれたので何とかなったが、その際、部長である僕は列の最後尾でコッソリとノラ猫の写真を撮影していたので今回のこの危機的状況において、その際の経験は何の役にもたたないと思われる。

『地球の~』などを見ればわかると思うが、台北はさすがに首都だけあってホテルに事欠くことはない。

しかしながら、やはり首都。物価が高く、地方と比べた場合、同じ金額でも設備にかなり差があるようだ。

初訪問の際、中国語が堪能な女性部員が情報を仕入れ探し出した宿の金額は700元だったが、フロントは中国語しか通じず、ラブホテルと兼用で、しかもゴ○○○の巣と化していた。一方、花蓮の例の宿も同じく700元だが、部屋もそれほど汚いわけではなく(すくなくともゴ○○○は出ていない)なんといってもフロントで日本語が通じる。

台北でゴ○○○の出ないそこそこの宿に泊まるためには2000元近くは出さないとダメらしい。

奮発してキレイな宿へ泊まるか、全てをあきらめてゴ○○○の巣へ特攻するか…。

余談だが、花蓮でアイドルのCDを大量購入したため、僕の所持金は底が見えかけている。ここで奮発しようものなら、残り3日を駅前のマクドナルドでホームレス化しながら過ごさなくてはならない。

ということは今晩はゴ○○○と同じ部屋で一夜を…。

いやあぁぁぁぁ!それなら3日間ホームレスになったほうがマシ!

台北駅前の高層ビル(新光三越ビル)の前で頭を抱え苦悩する1人の日本人。

そんな青年の目にとある看板の文字が飛び込んできた。

 

Taipei Yourth Hostel → コッチ

 

ユース…、ホステル…?

おおおぉぉぉ。

ユースホステルとは、世界中の貧乏旅行者のために作られた相部屋が基本の安宿のこと。

そして、僕はユースホステルでバイトをした経験がある。だから知っているんだ。宿泊料金が安いことを。そして施設自体もそこそこキレイだということを…。

うきうき気分で矢印の方向(台北駅前の高層ビルの中)へ駆け出す僕。

このユースホステルで、今夜、悪夢のような出来事が起こるとも知らずに…。

 

台北ユースホステルは1泊850元でドミトリー(一部屋に二段ベッドがいくつかあり、そこに雑魚寝)泊ということで、台湾の地方の安価な物価に慣れきった僕はフロントで一暴れしたくなったが、そんな度胸もなく、下手に料金交渉しようものなら料金を吊り上げられかねないため(第2夜参照)、おとなしく寝床へ直行した。

前述の通り、僕は九州は大分県の某ユースホステルで勤務経験があり、なおかつ日本を旅した際には各地のユースを頻繁に利用していたため、ある程度ユースホステルに関する知識は持ち合わせている(と自負している)のだが、初体験となる海外のユースホステルは幾分様子が違った。

まず施設。共有スペースの存在は日本も海外も一緒だが、置かれているものがだいぶ違う。日本の場合、和室を談話室として利用している場所が多く、真ん中にテーブルが、そして大量の本が置かれている(ことが多い)。

対して海外のユースホステルはソファーやパソコン、そしてビリヤードを始めとした遊び道具がどーんと置かれている。

次に従業員の対応。日本の場合、宿主をペアレントと呼ぶように、従業員と宿泊客の壁が薄く、食後に共に雑談やゲームをすることもしばしば。

だが外国の場合は、こちらから話しかけることはせず粛々と業務をこなすのだ。正直、宿ではひっそりと過ごしたい派の人間にとってはそちらのほうがいいのかもしれないが。

そして日本のユースと決定的に違うのは客層である。

若者のユースホステル離れが叫ばれている昨今、日本のユースには中年以上のおじさん、おばさんが非常に多い。特に大学の長期休暇からは完全に外れている1月の下旬ともなると、若者が全く来ないということも多々見られる。

しかしながら、外国のユース、というか台北のユースは若者であふれていた。もちろんみんな外国人であり、彼らと交流するというのは、外国語を解さず、且つ人見知りな僕にとっては一種の拷問である。

そして客の質という点でも日本とは少し異なる。ちょっとアウトローな連中が勢ぞろいしている感じ。はっきり言うとダメ人g(以下略

まだ午後の6時だというのに、部屋ではすでに睡眠を取っている屈強な男たちがたくさんいるし、共有スペースには売春婦みたいななのも混じっているような…。

あ、そういえば海外のユースに泊まったの初めてじゃないや。中国ではずっと泊まっていたし、花蓮でもとまったことあったわ。今更どうでもいいけど。

というわけで、買春も屈強な男たちにも対して興味のない僕は、さっさと荷物を置き、ユースが入っている高層ビルの中に同居している日系デパート(三○)の中で発見したトンカツ屋で、実に2週間ぶりとなる日本食を堪能した。

とんかつ御前のあまりの美味しさに涙を流しながら、そして同時に店員のお姉ちゃんに白い目で見られながら至福の時間を過ごした。

2週間日本食を絶っただけで涙を流すなんて、しかも比較的日本人の口に合うであろう台湾でこれである。パンメインになるヨーロッパなんかへ行った日には発狂するんじゃないかしら。

なお、この旅から1年半後、その悲劇(パンの悲劇)が実際のものになるわけだが、その話はまたいつか。

 

とんかつ御前に満足し宿へ戻ると、共同スペースで女性二人がなにやらおしゃべりをしていた。

『でさぁ~、やっぱりあっちへいこうかなあ~っておもうわけえ~』

『そうなんですね~、ふ~ん^^』

ったく、いくら共有スペースだからって他の人のことも考えずに大声でお喋りとは…。これだから外国人は…。

まてよ…。

『でもぉ~これだったら東京にもあるしい~行かなくてもよくなあい~』

『ですよね~^^』

…あれ、日本語だ。いまの日本語だよね?

そしてあなたたちは日本人ですよね?

…。

やったー日本人だー日本語だー。

僕は日本語と日本人に飢えていた。日本食と同じくらい飢えていた。だってこの2週間、日本人と日本語で会話したのって合計で20分くらいだもん。たしかに台湾各地のおばちゃんたちと日本語でトークしたよ(なぜかおばちゃん限定)。でも、やっぱり日本人と日本語で話したいじゃない。いくら日本では半引きこもり生活をしていて、へたすりゃ3日は誰とも話さない僕でも、2週間も話せなきゃさすがに飢える。

 

「どーもーこんばんはー」

『でさあ~って、どちら様?』

「かずおと申します。日本人で今日台湾1周を完了しました」

『ふ~ん』

『こんばんは~^^』

ちなみにこの2人、1人はめちゃくちゃかわいい(^^がついているほう)。なんでも中国人とのハーフで、現在は中国の広州へ留学中。お休みをとって台湾へ旅行に来たそうだ。いやあ、こんな可愛い子とトークできるなんて、宜蘭をすっ飛ばして本当によかった。

もう1人はあまり可愛くない。年齢も結構上っぽいし。はっきり言って興味ないです。

なんという不謹慎発言。そしてこの後、この暴言野郎に天罰が下る。

 

「へえ~台湾初めてなんですか。明日はどこへいくんです?」

『まだかんがえてないんですよ~^^どこかいいt『私はねえ~!!』

…。

僕がせっかく中国人ハーフの美女と楽しくトークしているというのに、もう一方のアラフォ~氏が割り込んでくる。

『私はねえ~、やっぱり故宮かなあ~』

「…ふ、ふ~んそうですか…。で、そちらのハーフさんは?」

故宮もいいけど台北101かなあ^^世界一高いb『ああ~知ってるしってる~世界一高いびるなんだよねえ~いきた~い!!』

…。

うるさい。 

ハーフさんとの会話に強引に割り込んでくるアラフォー氏。とりあえず声がでかい。そしてかなり図々しい。

そして徐々にトークの主導権はアラフォー氏の元へ…。

 

『でさあ~やっぱり翔が一番なんだけど~群がってる周りの子がうざいんだよねえ~わたしも翔には会ったこと何度もあるけどお~』

『すごいですね~^^』

「ふ、ふ~ん…」

ちなみに翔というのは某アイドルグループに所属している桜○翔くんのことである。なんでもアラフォー氏は長年そのグループの追っ掛け的なことをやっているそうで、新参ファンの振る舞いに対して怒りを覚えているらしい。

『まああの子達も一生懸命なんだろうけどさあ~だったら潤くん(注:おそら

く松○潤)に対して声援送るなってわけえ~ほんとむかつくぅ~』

『ですよね~^^』

「で、ですよねえ…」

ちなみにどういう経緯で彼女のアイドル論の話になったのかはよく覚えていない。

しかし、一つはっきりしていることは、僕がこの話を5時間も聞き続けているということだ。

僕がトンカツ定食を食べ、ユースへ戻ってきたときに夜の7時を指していた時計の針は、すでに深夜の0時をまわっていた。

拷問じゃないか。僕、なんか悪いことしたか?

『ふう~なんかおなかすいちゃったねえ~』

『ですよね~^^あ、そういえばこのあたりに屋台ってないんですか?^^』

…おし!チャンスだ!

ここで上手い具合にアラフォーを外の屋台へ向かわせれば、僕は解放されるはず。

「あ!台北駅の周りは結構屋台ありますよ!お腹すいたならそこへいくといいですよ!僕は眠いので遠慮しまs『それいいじゃ~ん!いこうよ~3人でさあ~』

えっ…、3人で…。

結局、僕の解放は失敗に終わりアラフォー氏と共に(ハーフさんももちろん一緒)夜の街へ…。

 

台北の駅前はコンビニやらマクドナルドやらがひしめいており大変華やかなのだが、一本小道に入ると薄暗い中で麺類の屋台が営業している。こんなところで、しかもこんな時間に営業して需要があるのかと思ってしまうが、このあたりはいわゆる予備校街で、日本以上の学歴社会である台湾では、高校生たちが日付の変わるこんな時間まで授業に追われており、授業終了後にちょっと小腹を満たそうという彼らの溜り場となっているのだ。

『じゃあ私注文しちゃいますね^^』

3人の中で唯一中国語の話せるハーフさんが屋台の親父に色々と注文をしてくれた。

しかしながら、彼女は非常にできた人である。アラフォー氏の長時間トークにも『ですよね~^^』などとしっかり受け答えをしていたのだから。

『へえ~これが台湾のラーメンかあ~』

ハーフさんが頼んでくれたのは魚介ラーメンのようなもの。薄味で、麺の上に東南アジア特有のパクチーがのっており、何ともいえないツーンと鼻に来る感じがとても不快で、要するにあまり美味しくなかった。

しかし、アラフォ~のトークからも逃れることができ、しかもハーフ美女と一緒に深夜の台北の屋台で一緒に麺をすするという思い出ができたのだからまあ良しとしようではないか。

 

腹を満たした我々3人は1時過ぎにユースへ帰還。そのまま自分のベッドへ直行し就寝しようと試みたものの、アラフォー氏の『でさあ~さっきの話の続きなんだけどぉ~』という一声に押される形で共同スペースへ強制連行。見事脱出失敗となったわけである。

 

そして、時は流れ…

現在、朝の5時半…。

『たださあ、最近はジャ○ーズも若い子出しすぎでさあ~若きゃいいってもんでもないでしょお~そうおもわなあ~い??』

『で、ですよね^^;』

「ですよねえ…」

この時間になってもとどまるどころか、さらに鋭さを増すアラフォー氏のトーク

拷問時間はのべ9時間半。正規の勤務時間を超過し、時間外手当の請求対象となるレベルである。

さすがにハーフさんの受け答えもどこかぎこちなくなってきているが、それは仕方のないこと。だって9時間半だもん。もう朝の5時半だもん。

『ふあ~もう5時半かあ~眠くなってきたよねえ』

『でっですよね!^^』

「そうです!そうです!寝ましょう!」

アラフォー氏から発せられた拷問終了の声。このチャンスを逃すわけには行かない我々2人は最後の力を振り絞り必死に寝ることを訴えた。

『そうだねえ~もう寝ようかあ~』

やった…。ようやく眠れる…。

ハーフさんを見ると心なしか涙ぐんでいる気がする。

やったよ、僕たちがんばったよ…。

ぜひこの拷問を耐え切った2人で写真を撮りたい…。

「じゃあ寝る前に記念写真なんかをいっしょにいかがでしょう?」

『そうですね^^じゃあいっしょn『ええ~やだ~すっぴんだもんわたし~!』

…。

『はずかしいからあ~ぜったい写真はNGぃ~』

『でっですよねえ^^;』

…。