続 北國紀行 その3 深夜バスの話
宗谷本線で稚内まで来たものの、ここは日本の突き当りなので、どうにかして戻らなくてはならない。ここから先はロシア。これ以上先へは進めないのである。
もう一度、宗谷本線にのって戻ることも考えたが、お尻が痛い。
さて、どうしよう。
ぼんやりと考えながら駅前を歩いていると、暗闇の中煌々と輝く深夜バスの看板を発見した。
札幌まで6時間かかる。しかし、格安。
当然、青春18きっぷの2,300円にはかなわないのだが、深夜バスの強みは、宿泊代を浮かすことができる点である。
稚内を23時発で札幌には朝の5時着ということは、一晩をバスの中で過ごすことになり、つまりは宿を探さなくてもよいのである。
宿泊代が浮くことを考えたら、18きっぷにも圧勝といえる。
「これはいい乗り物をみつけたぞ」と、にやにやしながら僕は看板を掲げる旅行会社へと入っていった。
翌日、宿で一緒になった青年とレンタカーを借りて宗谷岬を訪れたり、ノシャップ岬などを散歩したりしながら、稚内の一日を満喫した。
稚内はそこら中にロシア語があふれていた。国境の街なのである。
夕方には、路線バスを乗り継いで日本最北の公共浴場で時間をつぶした。なんといっても、深夜バスの出発は23時なのである。
日本海に沈む夕日がとてもきれいで、いつまでも裸で眺めていたかったのだが、そうこうしているうちに、公共浴場から稚内駅へのバスが早々に最終を迎えてしまったため、急いで市街地に戻り、閑散とした稚内駅前のセイコーマートでバスを待つことに。
そして23時。いよいよ乗車時刻である。
車内は4列シートで、前後も左右もそれほど広くはなかった。
そして、僕が着席したと同時に、前に座るおじさんが背もたれをマックスで倒してくるのである。これには困った。明らかに僕は膝が当たっている。
僕は、それ以上背もたれが倒れないよう、必死の抵抗を試みた。
絶対に背もたれを倒したいおじさんと、絶対に倒されたくない腐れ大学生との熱い戦いである。
結局、勝負は早々に膠着状態を迎え、なんとも微妙な位置で背もたれは固定された。僕の膝はまだ当たっているが、おじさんも倒し切れていない。ここら辺が落としどころであろうか。
朝鮮戦争における板門店での会談を思い出しながら、広い心で、僕はおじさんと休戦協定を結んだのである。
さて、深夜バスというものに初めて乗ったのだが、とにかく暑かった。
乗客の熱気からか、湿気がものすごく強い。
おまけに、僕は日本最北の公共浴場でぬくぬくと温まってしまったため、体がとてもほてっている。深夜バスに乗るには最悪のコンディションと言える。眠れやしない。
バスは真っ暗な中を疾走していく。当然ながら外の景色など楽しめるわけがない。
おまけに、車内は消灯しているため、本を読むことすらかなわない。というより、本を読んでいると間違いなくバス酔いするので、そもそも読めない。
それに加えて、休戦協定を結んだはずのおじさんが、たびたび領土侵犯してくるため、油断も隙も無い。
こうなったら、一刻も早く札幌についてもらいたいものだが、稚内から旭川までは、高速道路が走っていない。つまり、法定速度である50キロ程度で、常にとろとろと走っている。ずいぶん時間もたったろうと思い外を見てみると、まだ稚内の少し南の街にいる。この絶望感はバスに乗ったものにしかわからない。
しっかり宿に泊まって、宗谷本線でゆっくり帰ってくればよかったのではないか。僕は暗闇の中で自問自答を繰り返していた。。
そして、あまりのつらさに涙を流しているうちに、いつのまにやら意識は遠のいていったのである。
気づくと、窓の外は明るくなっていた。
いつの間にか、休戦協定を結んでいたおじさんの姿は消えていた。
協定違反で追い出されたのだろう。いい気味である。
バスはどうやら札幌市内に入ったようだ。
夢にまで見た札幌の街。札幌テレビ塔の姿が遠くに見える。僕は耐え抜いたのだ。
札幌駅前でバスを降りると、さわやかな空気が僕を襲った。この時の爽快感と言ったら、筆舌に尽くしがたい。なので、詳しくは書けないのである。
こんなに爽快な気分になれるなら、また深夜バスに乗りたいね!
と、なるはずがない。
二度と深夜バスには乗るまい、と少し肌寒い札幌の街は歩きながら、心に誓った。