卒業旅行 高松24時

本来、大学生の卒業旅行というのは、ヨーロッパだハワイだと海外へ行くことが多いようだ。社会に出る前に、学生生活最後の思い出として、気心のしれた仲間と海外旅行へ…。よく耳にする話である。では、大学にほとんど友達のいない人間は、いったいどうしたらよいのであろう。

僕は友達が少なかった。それ故、大学時代、旅行といえばほとんどが一人旅であった。それはそれで大変有意義で楽しい体験だったのだが、卒業を前にした1月、ふと思った。「僕も誰かと卒業旅行をしてみたい」と。

僕は毎年、年末年始の帰省の際には、青春18きっぷを使い、鈍行列車で大阪から伊豆まで移動していた。当時の青春18きっぷは1枚11,500円で販売されており、5日間、JRの鈍行列車が乗り放題になる。1日あたり2,300円の計算だ。新幹線を使って大阪から伊豆まで帰った場合、往復でおよそ2万円かかる。それが青春18きっぷを使えば、2,300円×2日=4,600円。なんと15,000円近くも得をする。貧乏学生の涙ぐましい努力である。残った3日分は、旅行に使うこともあれば、金券ショップへ売り抜けることもあった。

さて、今年も無事に青春18きっぷで帰省した僕は、青春18きっぷの使用期限が切れる2日前に、まだ3日分残っていることに気が付いた。金券ショップへ売りに行くにしても、使用期限残り2日で3日間分余った青春18きっぷを買ってもらうのはどう考えても不可能なことだった。すでに元は取っているとはいえ、売りぬくなり使い切るなりしないともったいない。どうしよう…。

そこで、僕はふと思い立った。

この切符を使って卒業旅行へいこう!思い出を作ろう!

思い立ったが吉日である。

僕は吉田に声をかけにアパートの部屋を出た。

 

吉田という男は、僕と同じアパートの住人であり、大学生活における数少ない友達の一人である

僕と同じ法学部の彼は、僕と同じくそれほど友達が多くなく、いつも学内を一人で歩いている。そして、僕と同じく女の影が見えない。僕と共通点があったからこそ仲良くなれたのかもしれない。いわゆる陰キャである。

インターホンを押すと、夕方の6時だというのに吉田は部屋から出てきた。普通の大学生なら、この時間はバイトだ飲みだと忙しいはずなので、この時間に部屋にいる吉田は明らかに友達が少ない。

「明日、さぬきうどんをたべにいこう。」

『いいけど、何時に?』

「あさの5時出発」

『おっけー。じゃあな。』

僕は目的地も告げていないのに、2つ返事でOKする吉田は、やはり陰キャなのだ。

 

 

5:40

旅行当日。僕はさっそく寝坊した。

昨日5時出発と言っておきながら、すでに30分以上すぎている。

いつもならば、このまますべてを忘れて再度睡眠に入るのだが、たとえ相手が吉田であったとしても、こちらから誘ったからには起きなくてはならない。なんといってもあれほど楽しみにしていた卒業旅行なのだ。

意を決してインターホンを押すと、寝起きで眠そうな吉田が現れた。こいつも寝坊してやがった。

「これから香川へいくから」

『あ、そう。何で?新幹線?』

「鈍行電車で」

『鈍行?何時間かかるよ?』

「4時間くらい?」

『ああ』

いま初めて、今日の行先を告げられたにも関わらず、普通に付き合ってくれるあたり、吉田は変わっている。そして当日の朝に行先を告げるあたり、僕もまた変わっているのである。変人2人は千里山駅から阪急電車に乗り込んだ。

 

6:00

阪急梅田駅で下車し、JRの大阪駅へ。通勤ラッシュ前なので、それほど混んではいない。

ここからは青春18きっぷが効果を発揮する。

2人で改札をくぐり、ホームへでる。ここからは、新快速へ乗り、西を目指していく。

 

8:00

僕たちが乗車した新快速は「播州赤穂行き」なのだが、その少し前の姫路で途中下車することにした。姫路城を見るためだ。

関西へ出てきて4年。恥ずかしながら、僕たちは世界遺産・姫路城を訪れたことがなかった。ホントに友達がいないんだね、2人とも。

駅からまっすぐに伸びる一本道の先に、姫路城の天守閣が見える。歩いて10分くらいだろうか。そう高をくくって歩き出してはみたものの、結局ついたのは30分後だった。まさかのタイムロスである。

僕たちの本来の目的地はあくまで香川なので姫路城によっている暇はないのだが、ここまで来たからにはぜひ城内へ行きたいものだ。

チケット売り場へ行くと、1人500円という看板がかかっていた。

えっ?入場料かかるの?

『お前いくら持ってる?』

「え~とね。」

僕の財布の中には32円しか入っていなかった。

「吉田は?」

『74円』

二人あわせて106円では姫路城はおろか、売店でジュースを買うこともできそうにない。そもそも、さぬきうどんも食べられないのではないか。

所持金32円と74円で香川まで旅に出る。

若さとは怖ろしいものなのである。

 

9:30

姫路駅から普通列車に乗り込むと、20分ほどで相生駅へ着いた。

新幹線が止まる駅だが、駅前にはなにもない。本気でなにもない。

乗り換え時間の30分で駅前を散策しようとしたが、わりと本当に何もなかったので駅のホームで待つことにした。

相生という街へ来ることは今後2度とないと断言しておく。

 

11:00

相生を出発した電車は、田んぼと山以外まるで見当たらない風景の中をゴトンゴトンと走っていく。くそ田舎である。

なんだかんだ、相生から1時間以上狭いボックス席に座っている。僕も吉田も、とてもお尻がいたいのである。

 

11:30

ようやく到着した岡山は、ビルが立ち並び、想像以上に都会だった。相生とは違うのだ。

あさからずっと列車に揺られ、とくに会話もなくいい加減飽きていた僕たちは、きび団子を食べようという気すらおこらず、すぐに乗り換えホームへ移動した。

ここからは快速マリンライナーにのって瀬戸内海をわたる。

瀬戸大橋を渡れば、そこはさぬきの国。

お遍路さん以来の四国上陸だ。

 

12:50

高松駅へ着いた。ここまでですでに7時間以上もかかっている。こんなに電車に乗った経験、吉田はきっとないのであろう。さっきからずっとお尻を気にしている。宗谷本線や伊豆までの帰省で長時間乗車に慣れているはずの僕のお尻も限界を迎えつつある。

さて、本題のうどんだ。うどんのために、わざわざ高松まできたのだから。

しかし、その前にまずはATMへ行かなくてはならない。なんといっても僕たちの所持金は106円しかない。ここまで飲み物を買うことすらかなわず、脱水症状気味でもある。

早く郵便局をさがしださなければ、僕たちはうどんを食べず大阪へとんぼ返りすることになる。

 

13:00

大都会 高松は相生とは違いそこら中に郵便局がある。ようやく大金(5,000円)を手にした僕らは、適当に目についた高松駅近くのうどん屋さんで本来の目的を果たした。この一杯、このわずか10分のために7時間かけてはるばる大阪から来たのだ。僕たちは阿保である。

おなかもいっぱいになったぼくらだったが、あらためて帰路のことを考えて大変気が重くなった。

これからまた7時間かけて大阪に戻るのか。その行為に意味はあるのか。あまりにも辛くないか。だって、お尻が痛いんだもん。

 

13:30

もはや青春18きっぷで大阪へ戻るなんて考えられない。どうして7時間も列車に乗らなければならないのか。僕たちはドMだったのか。自問自答を繰り返す僕らは必至で代替案を考えた。

岡山から新幹線作戦は所持金の問題で却下だ。

高松から高速バスという手もある。片道3,200円だが、お尻のダメージが躊躇させる。値段もはっきりいって高めだ。

どうしよう…。

あっさりと万策尽きた僕らは、高松駅構内にある旅行代理店のお姉さんに泣きついた。

 

13:45

旅行会社のお姉さんは、陰キャである僕たちにも優しく、そして「ジャンボフェリー」の存在を教えてくれた。

高松港から神戸港までを3時間で結んでいるというジャンボフェリー。船内でゴロゴロしていれば神戸までいけるという夢のような乗り物だ。しかも片道1,800円ときている。お姉さんが神に思えた。

 

 

 

14:00

旅行代理店のお姉さん(神)に言われるがままジャンボフェリーを予約した僕たちにもはや死角はなかった。

高松市役所の展望ロビーで絶景を満喫したあとは、金毘羅さんへ向かおうではないか。高松駅から土讃線に揺られていこうではないか。

なんといっても、ジャンボフェリーの出発は深夜1時。

大いなる暇つぶしの始まりである。

 

16:00

3年ぶりとなる金毘羅さんは相変わらず階段が多かった。

陰キャで運動不足の僕たちだったが、さすがにまだ22歳なので、本殿までは難なく到着できる。しかし、金毘羅山には奥の院という最終兵器が用意されていた。さらに数百段もの階段を登らなくてはいけない。あたりは薄暗く、戻ってくる頃には真っ暗になっているかもしれない。遭難の危険性もある(たぶんない)。

それでも行かなくてはいけない。だって僕たちは観光客だ。観光客の義務である「観光」を最後までやり続けなければならないのだ。

 

16:30

観光客としての義務を果たすべく一心不乱に上り続けた僕たち。若さというのは素晴らしいもので、ついに金毘羅さん奥の院まで階段を登り切った。

奥の院からは讃岐平野が一望できた。薄暗く、しかもガスがかかっているためお世辞にも絶景とは言えないが、この達成感は僕ら二人にしかわからないのだ。

平日のこんな時間に奥の院へ登るやつなど僕ら以外いないので、あたりには物の怪の気配がした。吉田と二人、こんなところで物の怪に襲われ人生を終えるのは本意ではないので、さっさと下山することにする。

 

18:30

高松駅へ戻ってきた。

冬とは言え、2時間近くも登山をしているとやはり汗をかく。

3日に一度は必ずお風呂に入る清潔感のある僕らは、汗臭い自分がとにかく許せないので、四国随一の大都会 高松で公衆浴場をさがす。

というか、こんな街中にあるわけなかろう…。

『ああ、お風呂?そこの道まっすぐ行って、2本目を右に曲がったとこにあるき!』

吉田がダメもとで聞いた駅前観光案内所のおじさんは、あっさりと行き方を教えてくれた。あるんかい。

 

19:00

おじさんに教えてもらった公衆浴場は、イメージ的には東京の下町にありそうな、昭和の香りのする昔ながらのお風呂で、中は地元のおじさんたちでいっぱいだった。21世紀の世の中に、いまだにこんな場所が残っているのか。と、感心しながら湯船につかっていると、なにやら吉田がもじもじしている。

店を出て吉田に訳を聞いてみた。

『俺の隣にいたおじさん、ロッカーのカギを足首につけていたんだぜ』

どういう意味か分かりかねる僕に、吉田はうろたえた声でつづけた。

『あれはホモだ…。ロッカーのカギを足首につけているのは、この後OKのサインなんだ…』

吉田はホモ界隈の事情に詳しいのである。

そして、OKサインのおじさんをみてもじもじしていた吉田は、まさかホモなのでは?

 

20:00

うどんを食べてから7時間以上経過した。育ち盛りの僕たちは空腹で我慢の限界だ。高松一の繁華街、瓦町でお好み焼き屋風居酒屋を発見し、さっそく入店だ。

大学の4年間、数少ない友人の一人としてなんだかんだ交流のあった吉田。彼と酒を飲みかわすのは実は初めてだった。

お互いの部屋を訪れ、くだらない話ばかりしていた4年間。

マリオカートを完全クリアするまで寝ないと心に決め、結局朝の8時まで12時間以上もプレイ。

文科省のホームページからリンクをたどってエッチなサイトにたどり着けるのか」という真面目な実験を徹夜で行ったこともあったっけ。

吉田が就職活動をしている時には、彼の合格を祈願し、応募書類にのせる写真をインパクトの強いものにしてあげようと、真夜中の大学構内に忍び込み、男らしい写真を撮ったこともあった。

吉田との出会いは入学式の翌日。アパート全体が詐欺にあったことで生まれた不思議な縁だった。

 

 

22:00

話はつきなかったが、お好み焼き屋を追い出された。四国一の大都会 高松にあるまじき、早い閉店だ。ジャンボフェリーまでまだ3時間もあるというのに、高松の街へ放り出されてしまった僕らは、行き場を失くしふらふらと街をさまよい続けた。

 

23:00

陰キャである僕たちにとって、夜の蝶の舞うお店はハードルが高い。仕方がないので、コンビニで飲めもしないチューハイを買って、高松駅前の港で乾杯だ。そして酒に弱い2人は案の定悪酔いした。

僕はお酒がとても弱いが、吉田も同じくらい飲めなかった。吉田がゼミの飲み会で飲みすぎてつぶれ、関大前の居酒屋まで、なぜか僕が迎えに行ったことがあった。いいだけ酔っぱらった僕らは、海に向かって放尿するという暴挙に出た。

吉田は地元の信用金庫への就職が、そして僕は大学院への進学がそれぞれ決まっている。僕たちの将来を台無しにしかねない放尿という行為。

酔っぱらった僕たちはそんなことも忘れ、青春のひと時に酔いしれていた。

 

 

0:00

ようやく時間になり、高松駅前からジャンボフェリー専用バスに乗って、出航する港へと出発だ。

『そ~らとう~みをわ~た~る~』

バスの車内で鳴り響く社歌が頭から離れない。

『ジャンボ~ふぇり~』

 

1:00

『ジャンボ~ふぇり~』

社歌が鳴り響く船内。もはや洗脳である。

『ジャンボ~ふぇり~』

完全に洗脳され、口ずさむ吉田をしり目に、僕はカーペット敷きの2等室で横になった。そして出航の汽笛を聞くことなく、眠りに落ちた。

 

 

4:00

神戸港入港までぐっすり眠ってしまった。

隣では洗脳を受けた吉田がずっと『ジャンボ~ふぇり~』と繰り返していた。

たぶん出航からずっとうたっていたのだろう。素直に不気味だ。

神戸港から三ノ宮駅まで、早朝の神戸市内を歩いていく。

思えば神戸に来たのも初めてなような気がする。

まだ阪神大震災から10年ちょっとしか経過していない。それでも、神戸の街は建物であふれていた。

 

 

5:40

三宮からは始発の阪急神戸線で梅田へ。梅田からは阪急千里線で、ようやく関大前に戻ってきた。おなかをすかせた僕らは、関大前通りの行きつけの松屋で一服。

平日の朝から松屋でぐだぐだ。こんな贅沢な時間は、学生時代にしか送れないであろう。

松屋をでて、早朝の千里山キャンパスへ。僕たちの青春の4年間がつまったキャンパスを通ってアパートへ戻ろう。昼間とは違い、まったく人のいない広大なキャンパスはとても新鮮だった。

アパートについたのは、奇しくも昨日出発した時間と同時刻。

ピッタリ24時間。他の人とは違った、僕ららしい卒業旅行であった。