韓国と古墳

 


博多港を出港した高速船は、東シナ海の大海原を疾走していく。そのあまりの揺れっぷりに、僕は嘔吐寸前だ。

湯布院でのアルバイト中、博多から韓国の釜山へとわずか3時間ほどで行けるという情報を得た僕は、4日間の休暇をもらうと、早朝に湯布院を脱出し、福岡から釜山行きの高速船へと乗り込んだ。

韓国にあこがれを持ったのは中学生のころだったかと記憶している。父親が仕事の都合で頻繁に韓国へ出張していた。当時、たいして海外へ興味のなかった僕だったが、父親の話を聞いたり、持ち帰ってきたパンフレットを見せてもらったりする中で、俄然韓国に興味を持った。なんと韓国には日本と同じような古墳があるらしい。そして、京都太秦広隆寺にある弥勒菩薩像(アルカイックスマイルのあれだ)の原型とも言える仏像もあるらしい。日本の歴史に大変興味のあった僕は、日本と韓国の歴史的なつながりに感動し、いつの日にか古墳をこの目で見てやろうと夜な夜な思ったものだった。

 

重度の船酔い患者を満載した高速船は、日が暮れるころになりようやく釜山港へ入港した。客はみな、さしずめゾンビのようにフラフラしながら下船していく。なんて怖ろしい交通機関なんだ…。

釜山港からバスにのり10分ほどで釜山駅へ。駅前広場にあるビジネスホテルで早速宿泊交渉だ。僕は、大学4年間、第3外国語として韓国語を履修していた経験を持つ。普通は2回生で終えるはずの授業を諸事情で4回生の後期まで取り続けた男の本気の韓国語がいまベールを脱ぐ。

「あにょはせよー!!ぱんいっすむにか?」

『あーにほんじん?こんにちは。一泊でいいのですか?』

やべえ…。フロントの冴えないおじさんの日本語の方が格段に上手だ。僕は必至で韓国語で伝えたのに、返ってきたのは流ちょうな日本語だった。

おまけに支払いの段階で、6万ウォンを間違えて千ウォン札6枚で支払おうとしておじさんに笑われた。アホな日本人だと思われたんだろうなあ。

案内された部屋は韓国独特のオンドル使用の素敵なお部屋だった。テレビをつけると「冬のソナタ」が放送していた。本場のペヨンジュン氏に大興奮である。

 

船酔いもさめ、おなかがすいた僕は、すっかり夜も更けた釜山の街へ繰り出した。当時の僕は、地元の人が立ち寄りそうなお店で食事しなくてはと意気込んでいた。

海外一人旅は今回で2回目。旅人としてはまだまだ初心者である僕は、食事は必ず地元民の集う店に入るという自分ルールを設けていた。コンビニ?フードコート?えっ?マクド?そんなちゃらちゃらした店に入るなんて、旅人とは言えないぜ、という謎の使命感である。なんと若かったことか。これが数年後にヨーロッパへ行くようになると、なにも考えずにマクドに直行するようになるのだが。そこの境地に至るにはまだまだ時間がかかりそうである。

釜山駅前はビルも立ち並び、さすが韓国第2の都市だと思わせるなかなかの発展ぶりなのだが、一本通りを入ると街灯も少なくとってもうらぶれた雰囲気に変わる。その通りの一角に、いかにも地元の人しか来なさそうな食堂を発見した。お店の中をコッソリのぞくが、お客らしき人は一人しかいない。地元客でワイワイにぎわっているお店も入りづらいが、誰もいないお店はそれはそれで入りづらい。「地元民の集う店に入るという自分ルール」を設けたわりに、なかなか思い切れない気弱な男。お店の前をいつまでもウロウロしてしまう。

どのくらいたったであろうか。これではいけないと自分を奮い立たせ、ついに目についたお店のドアを開ける。

「あ、あにょはせよー!」

『!?』

お店の中には店員と思われる女性が一人、そして客と思われる男性が一人。突然現れた珍客に2人もびっくりだ。

「め、めにゅぱんいっそよ?」(メニューはありますか?)

『お、おう!めにゅー!』

店員と思しき女性が壁を指さす。どうやらメニューが書かれているらしい。当然ハングル文字オンリーのメニューらしきものの中からビビンバの文字を見つけ注文する。4年間の韓国語履修が無駄ではなかったと実感した瞬間である。

注文を終え、ちょっと一息ついた僕は、あらためて店内を見回してみた。

なんとも家庭的な雰囲気である。テレビではバラエティー番組が流れており、一般家庭の夕食へお邪魔しちゃいました、みたいな感覚におちいる。隅で食事をしている先客も、まるで自分の家で食事をしているかのように部屋着でまったりとしている。

…。あれ?

ここ、もしかしたら一般のお宅なんじゃね?食堂じゃないんじゃね?

そういえば、店先に看板がかかっていなかった気もする。

まさかのお宅訪問?

店員と思しき女性が持ってきた本場のビビンバは、それほど辛くもなく、とてもおいしかった。食事中、店員と思しき女性は、客の男性のと大変親密そうに話していた。まるで夫婦のように…。

その姿を見て、「あ、これ食堂じゃない。一般家庭や。」と察した僕は、大変なことをしでかしたという焦りから、ビビンバをかき込み、テーブルに1万ウォン札を置いて、逃げるようにお店を後にしたのであった。

 

翌日、お世話になった駅前のホテルをチェックアウトし、釜山バスターミナルから慶州行きの高速バスに乗り込んだ。かつての新羅の都だったという慶州。日本でいえば京都的なポジションのこの街こそ、僕が中学生のころから訪問を切望していた場所。冒頭にも述べた古墳がある街なのである。このために、古墳のために韓国へやってきたといっても過言ではない。

余談になるが、駅前ホテルをチェックアウトする際、日本語が堪能なフロントのおじさんが、目にくっきりとクマを携えて業務を行っていた。きっと徹夜明けなのだろう。韓国の格差社会を見た気がした。

さて、1時間ほどで到着した慶州は、釜山を三割ほどグレードダウンさせたような、まさに地方都市というたたずまいのする街だった。大通りから一本入ると未舗装道路も目立ち、それが原因なのか、街中が砂埃っぽかった。遠くの山は木々があまり生えていないいわゆるはげ山で、その荒涼とした風景は大陸を思わせた。そうだ、東の果てとはいえ、ユーラシア大陸の一部なのだ。ここをまっすぐ行けば、ヨーロッパにも行けるのである。(北朝鮮が途中にあるけど。)

さて、『地球の歩き方』に載っていたゲストハウスへチェックインした僕は、慶州歴史なんとか公園へと向かった。ついに念願の古墳とご対面である。

慶州駅から路線バスで10分ほど。芝で覆われた一帯には、お茶碗をひっくり返したような古墳(円墳という)がそこら中に点在していた。ポコポコポコっととにかく無数の古墳が点在しているのである。

…。

これが見たかったのだろうか?

このポコポコしたお饅頭みたいなものを見るために、僕ははるばる韓国までやってきたのだろうか?

念願かなった感動よりも、これを本当に見たかったのか、という疑念の方が強くなった僕は、古墳をペタペタさわり、古墳と記念撮影をし、古墳のとなりでお菓子を食べ、古墳との時間をとても満喫した。そして満足すると、ゲストハウスへおとなしく帰った。

これ、たぶん奈良でもできたな…。

 

翌日、世界遺産に登録されている名刹、仏国寺を見学したのち、釜山へ戻った。

後から知ったことだが、あの古墳群も世界遺産に登録されていたらしい。まじかよ。二度と行かねえぞ、きっと。

なんとも疲れた僕は、宿探しも面倒くさくなり、初日にもとまった駅前のホテルへ入っていった。

フロントには例のおじさん。

昨日よりもさらにくたびれており、客が来たにもかかわらず、イスから立ち上がることができていなかった。まさかの3連続徹夜なのだろうか。韓国の格差社会を見たような気がした。

 

夜、繁華街のCDショップに立ち寄り、いくつかCDやDVDを購入した。レジの若いお兄ちゃんとお姉ちゃんがが韓国語で何やら言ってきたので、日本人だから韓国語わからないという意味で「ちょぬん、いるぼんさらみえよ」(僕日本人なんです。)といったところ、二人はニヤニヤしながら僕を一瞥してきた。もっと韓国語をしっかり勉強すればよかったなあ、と思った瞬間だった。

 

初上陸の韓国は、思った以上に旅しやすかった。

言葉が多少わかるということも要因の一つだろう。そして、やはり韓国料理になじみがあるということも大きいのではないだろうか。フードコートやコンビニに行っても、名前さえわかれば、どんな料理か大体想像がつく。食べたいものを選んで食べることができる。これはストレスを軽減する大きな要因となる。

 

帰国の日、船を待っている間、釜山港の食堂でクッパを食べた。「韓国風おじや」というべき料理だったが、やはりとてもおいしかった。

今度はソウルへ行って、焼き肉をたくさん食べてみたいなあと思いながら船へと乗り込んだ。

そして、行きとは打って変わって大荒れとなった東シナ海を進む高速船は半端ないくらい揺れた。最後に食べたクッパが胃から出たがっているのを必死でなだめながら、僕は帰国した。