台湾リベンジ 第1夜 台北
2008年 1月15日
リベンジである。
1月15日、22時ちょうど。
僕は1年ぶりに台北の駅前に立った。
相変わらず蒸し暑い台北の街。しかし、どこか懐かしかった。
昨年の夏、サークルの仲間を引き連れ台湾にやってきた僕は、見事に台湾にハマってしまった。
各地に残る日本時代の足跡、親日的な人々、うまい飯…。
そのどれもが本当に心地よかった。
帰国後、僕は連日図書館に足を運び、台湾関係の本を読み漁った。家では台湾の歌手の歌をずっと聞いていた。そして、読めば読むほど、聞けば聞くほど、僕はますます台湾にハマっていった。
それから半年後、2007年の1月、今度は一人で大好きな台湾へとやってきた。初めての海外一人旅。予定もきっちり立て、万全の態勢で臨んだはずだったが…。
『ぼっちで台湾』に詳しく書かれているのでここでは端折るけど、あれほど好きだった台湾が、この旅のおかげで嫌いになりかけてしまったのだ。
あれから1年。
因縁の台湾に再びやってきた。
1年前のリベンジを果たすために、台湾を再び好きになるために…。
台北駅から地下鉄に乗り「中山路」という場所にやってきた。ここにある大欣大飯店という中級ホテルを、今回は日本から予約してきたのだ。
昨年、妙に自信満々だった僕は、「一泊目の宿は現地で決める!」などと偉そうなことを宣言した挙句、結局宿を探せないまま予定が流れ、初日から深夜バスに乗り高雄を目指すという奇行にでたのだ。いま思えば、あの時の決断が、旅の全てを狂わせてしまった。今回は、そんなバカげたことはしないのだ。
「初日の宿は日本から予約」
前回の旅から学んだ教訓である。
『コンバンハ、マッテマシタヨ』
大欣大飯店のフロントのおじさんは日本語が話せた。当然僕は中国語が話せない。わかるのは「你好」「謝謝!」「再見」くらいで、語学力は1年前から全く進歩していない。相変わらず、僕はこの3語のみで台湾に挑んでいる。
部屋に荷物をおき、さっそく近くのコンビニへ行き、ポテトチップスと新聞を買い込む。
『袋子嗎?』
「袋子?Yeah!」
台湾のコンビニではいくらたくさん買い込んでも袋をくれない。そこで、僕はあらかじめ「袋」という単語を、僕の最大の武器であり命の次に大切な『指さし会話帳』からあらかじめピックアップしてきていたのだ。
『袋子嗎?』 (袋はいるの?)
「袋子?シーシー!」 (袋?もちろん!)
「你好」「謝謝!」「再見」に続く武器の誕生である。1年前の台湾の旅以降、韓国、中国の旅を経験して確実にステップアップしている。
1年前だったら、『袋子嗎?』って聞かれても「?」だったもん。
そういえば、昨年4月に一人で韓国に行った際には、CDショップで、
『袋に入れますか?』
と韓国語で聞かれた(たぶん)際、
「ちょぬん いるぼん さらみえよ」(僕は日本人です)
なんて言いかえしちゃっていいだけ失笑されたっけ。
あの経験が生きているなあ…。
部屋に戻り、買ってきた新聞を見ながら明日の予定を考える。
この新聞、『りんご新聞』というカワイイ名前のスポーツ紙で、1年前にも毎日購入していたのだが、オールカラーで見やすく、芸能やスポーツニュースには日本の芸能界、野球の結果なども載っていてけっこう面白いのだ。天気予報も台湾各地域のものが詳しく載っており、大変便利な新聞なのである。
『りんごちゃん新聞』によると、明日からしばらくは、台湾の西部南部は晴れるが、東部北部はぐずついたお天気らしい。
この時期、台湾北部東部は日本の梅雨のように毎日雨が降っているそうだ。思い返してみると、昨年ずっと滞在していた花蓮も、雨こそ降らなかったもののずっと曇り空だった。
そういえば、ここまで2度も台湾旅したというのに、西部南部の街には全く行っていなかったっけ。
「よし、それではまず明日は、降水確率30%の台中へ向かうことにしよう」
これで、今回の旅の大まかな流れは決まった。
さっそく命と『指さし会話帳』の次に大事な『地球○歩き方』を取り出し、テレビから流れる日本のドラマの声を聞きながら、明日以降訪れるであろう街をペラペラと調べていった。
何とも言えないウキウキした気分。旅の初日からこんなに気分がいいのって初めてじゃないかしら。
台湾リベンジ、いよいよスタートである。