続 北國紀行 その6 青森という街の話

青森へはフェリーで津軽海峡を越えてみることにした。

なんと、青春18きっぷでは、青函トンネルを通過することができないのである。なんとも不便な切符なのだ。

 

さて、函館駅から路線バスに乗り、函館港へ到着した僕は、さっそくフェリーの切符を購入。いよいよ乗船だ。

思えば、旅の中で船に乗るのは初めてのことであった。

飛行機も列車も、バスもレンタカーも利用したことがあったが、船だけは未経験だった。ついに一線を越えたと言っていいだろう。

フェリーには座席と、横になってもよいカーペット敷きの場所、その2つがあり、この時点で、あの悪夢のような深夜バスとは違って天国のような乗り物であると確信した。

9月の平日ということもあり、乗船客もまばらで、思いっきり足を延ばして寝転んでいられるこの快適さよ!

津軽海峡は波もそれほど高くはない。だからなのか、ゆれもほとんどなく、船酔いの心配も全くない。

仮に酔ったにしても自由にトイレに行ける。

行きたい時にトイレに行ける、この自由さは深夜バスでは考えられない。韓国と北朝鮮くらい自由度に差があると言っていい。管理社会は僕には合わないのである。

3時間の船旅も全く苦ではなく、船はあっという間に青森港へ入港した。

 

青森港から青森駅まではどうやらバスが出ているようなのだが、倹約家の僕は徒歩で行くことにした。そして、当然のように迷子になった。

グーグルマップもない時代に、紙の地図すら持っていない状態で、よくもまた歩こうと思ったものである。

住宅街に迷い込み、これはさすがに遭難するだろう、と命の危険を感じた僕は、目についたセブンイレブンに入り、お姉さんに泣きついた。

 

青森駅へはどのようにいけばよろしいのでしょうか(泣)」

「あー、青森駅はー、▲&$#&*&よお」

「えっ?」

「あー、青森駅はー、そこの$&#からぁ▲&$#&*&よお」

「えぇ…」

 

青森弁といえば、いわゆるズーズー弁で、かなり聞きづらいということは僕でも知っている。幕末のころ、薩摩藩津軽藩で言葉が通じなかったというのは有名な話である。

しかし、21世紀のいま、まさか青森県人の話す言葉を聞き取ることができないなんて、信じられない。

しかも、僕が会話しているセブンイレブンのお姉さんは、茶髪でネイルがっつりのナウなヤングである。

おばあちゃんではない。

ナウなヤングなのである。

まるで都市伝説のような話なのだが、これは現実である。受け入れなければならない。

 

何度かの会話の末、ナウなヤングのお姉さんの言葉から、どうにか「バス停」というワードを聞き取ることに成功した。おそらく、目の前のバス停から青森駅行きのバスが出ているのだろう。

こんなことならば、青森港から直接バスに乗った方が早かったのではないか。

しかし、リアルな青森県人に出会うという貴重な経験を積めたことに、僕は感謝しなくてはならないのである。