日本をぶらぶら@桃岩荘
ユースホステルとは、主に若者向けの、相部屋を基本とした安い宿のことで、いまでいうゲストハウスのようなものである。もともと海外で始まったものだが、日本では1970年代くらいに全盛期を迎え、全国各地に数多くのユースホステルが存在した。当時の若者の多くはユースホステルを利用して日本各地、ありとあらゆる場所へ旅に出かけた。らしい。
このユースホステルの一番の特徴は、夜に行われるミーティングという集いである。ミーティングの内容は宿によって異なるが、基本踊ったり歌ったり、宿泊客同士で夜遅くまで語り合ったり…。若者でにぎわったユースホステルでは、夜な夜な出会いを求める若者たちが、このミーティングという集いに参加し、大いに歌い、大いに踊り、異常ともいえる熱い夜を過ごしたそうだ。
さて、そんな栄華を誇ったユースホステルも時代の波には勝てず、現在ではかなりの数の施設が休館となっている。そりゃ相部屋で知らないもの同士が夜な夜な踊り狂う宿が、現代の若者に支持されるはずがない。売りの一つだった「値段の安さ」にしても、いまでは小奇麗なビジネスホテルに5,000円未満で泊まることができる。太刀打ちできるはずがない。
なんとか生き残っているユースホステルにしても、現代っ子に受け入れてもらおうと努力した結果、かつてのような踊り狂う異常なミーティングを行うところは皆無といっていい。
しかし、そんな現代において、かつてのような異常ともいえる形態で営業を続けているユースホステルが1か所だけ存在する。
「桃岩荘ユースホステル」
かつて「北海道3大バカユースホステル」の筆頭格とうたわれたこの宿は、北海道の最北端、礼文島にある。
僕が「桃岩荘ユースホステル」のことを初めて耳にしたのは、大学2年生の時。
初めての一人旅で東北を旅した時に平泉で出会ったおじさんからだった。
一人旅をしているもの同士が会話をすると、たいてい「どこどこの宿がよかった」「あの宿はやめた方がいい」といった情報交換的な話題になる。その情報をもとに、今後の旅を計画していくわけだ。
その話の中で、おじさんはぽつりとつぶやいたのだった。
「礼文島にすごいユースホステルがあってね…。あそこはすごいよ…。ホントに…」
おじさんはなぜか歯切れが悪く、僕が何度詳細を聞いても「あそこはすごいよ…えぇ…。」とお茶をにごすばかりであった。
それから3年後。忘れかけていたころに再び桃岩荘が僕の前に姿を現した。
湯布院のユースホステルでアルバイトをしていた時のこと。
その日に宿泊した一人の青年。彼は桃岩荘のヘビーユーザーだった。
興味をもって話しかけた僕に、彼はいろいろと教えてくれた。
以下は彼から入手した情報である。
・礼文島の港につくとブルーサンダー号エースで連れていかれる。
・時差があり、日本標準時より30分早い。
・風呂が茶色い。
・夜な夜な踊り狂う。
・禁酒禁煙。
・礼文島の北から宿まで8時間かけて歩いてくるイベントがある。
・圧縮弁当。
・夕日に向かって全員で歌う。
・1泊の予定で来た旅行者が結局1か月居ついた。
・帰りのフェリーではみんな号泣しながら港で踊る。
もう初めから意味が分からない。ブルーサンダー号エース?時差?圧縮弁当?
そのあまりに濃すぎる情報に、僕は引くことを通り越して、俄然興味を持ってしまった。
そしてその1年後。
社会人になって1年目の夏休み、僕は礼文島と目と鼻の先の稚内までやって来てしまっていたのである。
さて、稚内まで来たものの、僕は正直迷っていた。たしかに興味はそそられる。大変気になる。しかし、岩手県でであったおじさんの言葉が、僕を躊躇させる。「あそこはすごいよ…」という歯切れの悪いあの言葉が。
その日に泊まった稚内のユースホステルでは、鬱で仕事を休んでいるという若い女性と、会社を定年し旅に出たおじさんという訳ありな二人に出会った。そしてその二人は、翌日桃岩荘へ行くという。
「えー、それなら一緒に行きましょうよ!迷ってないで!」
休職中の女の子に翌日の予定を迷っていると話すと、あっけらかんとそういった。
彼女は、礼文島の北から8時間歩くという、噂で聞いた例のイベントに参加するために桃岩荘へ行くとのことだった。もう一人の定年おじさんも礼文島の自然を満喫しに行くらしい。彼らは知らないのだろうか。桃岩荘の怖ろしい噂を…。
しかし、若い女の子からの誘いを断れるほど、僕は意思が強くはないので、さっそく桃岩荘へ予約の電話を入れてみた。女の子と一緒に泊まれるなら、桃岩荘も怖くはないのだ。
すると、電話の主は、幾度となくこう尋ねてきた。
「夜遅くまでうるさくて寝られないかもしれないけど、大丈夫ですか?」
本来であれば、眠ることを目的として利用する宿が「寝られないかもしれないけど大丈夫?」と聞いてくること自体おかしいのだが、女の子との出会いにより自分を見失っていた僕は「大丈夫です!」と聞かれるたびに元気よく何度も答えた。
こうして、僕の桃岩荘行きはあっさりと決定したのだった。
翌日、休職女子と定年男子、そして僕(10年後には休職男子)の3人は、稚内港から礼文島行きのフェリーへ乗り込んだ。8月の観光シーズンということもあり、船内は旅人でにぎわっていた。礼文島というのは、高山植物の咲き乱れる美しい島としても有名なのだ。果たして、この旅人のうち何人が桃岩荘へ向かうのだろう。
途中、利尻島へ寄港したフェリーは、3時間ほどでかけて礼文島へ到着した。
甲板へ出てみると、何やら港で旗を振り回している一団がみえる。
『お~かえ~りなさ~い!!!』
大声で叫ぶその一団は、よく見ると全員裸足だった。
間違いない。あれは桃岩荘だ…。
港では、さまざまな宿の人がお出迎えをしていたのだが、桃岩荘はすぐにわかった。
この静かな島で、彼らはあきらかに浮いていた。
『おかえ~りなさ~い!!!ささ!桃岩荘へ向かう方はこちらへどうぞ!!』
裸足の一団は、恐るおそる近づいていく我々に対して大変大きな声でそう言った。彼らが指さす先にはトラックの荷台にテントを張ったようなフォルムの、青い車があった。あれが噂のブルーサンダー号エースなのだろうか。
「あ、私たち、ちょっとお昼ご飯を…」
『そ~おですか!!!じゃあ荷物だけでも!!』
「えぇ…。」
いちいち大きな声を出す一団に怖れをなし、どうしてもブルーサンダー号エースに乗る気がおこらなかった我々は、適当な理由をつけて、その場を離れることにした。
『そ~れでは、いってらしゃ~い!!!あとでお迎えにあがりま~す!!!』
さっそく桃岩荘の洗礼をうけた我々は、港近くの食堂で採れたてのウニを食べ、ちょっとしたハイキングコースで礼文島の大自然の中を散策し、大満足の時を過ごした。
これだけ満喫したなら、もう日帰りで稚内に戻っていいんじゃない?もう桃岩荘とかいいんじゃない?と休職女子も定年男子も心の中で思っていたはずだが(もちろん僕も)、誰一人として口に出すことはできず…。無情にも、お迎えの時間はやってきたのである。
『お~かえ~りなさ~い!!!それではど~ぞぉ~!!!』
その声に導かれるように、ブルーサンダー号エースへ乗り込む我々。というかトラックの荷台にただ乗せられただけだ。道路交通法違反な気もするのだが、桃岩荘では日本の法律は通用しないのかもしれない。
宿のスタッフによると、ブルーサンダー号エースは21世紀の最新の音声読み取り技術が備わっており、大きな声で「出発しんこう~!!」と言わないとエンジンがかからないそうだ。幼稚園かここは。
『それでは、せ~の!!!出発しんこう~!!』
「しゅ、出発しんこう~」
『はずかしがらずに!!もっと大きな声で!!!出発しんこう~!!』
「出発しんこ~!!!(涙)」
無事エンジンのかかったブルーサンダー号エースは、港にいる人々の冷たい視線の中を、桃岩荘へ向けてさっそうと走り出したのだった。
途中にあったトンネル(桃岩タイムトンネル)を過ぎる際に、「ここからは桃岩時間です!!!日本標準時から30分早くなります!!!」とかいう、よくわからないアナウンスがあった以外は何事もなく車は走り、10分ほどで、桃岩荘ユースホステルへと到着した。
ニシン番屋として140年前にたてられたという建物は、改装されたためか、思いのほかきれいだった。
受付後は、スタッフが館内をちょこちょこ小ネタを挟みながら案内してくれた。どうやら桃岩荘のお風呂は家庭用の湯舟を一回り大きくしたくらいで、何十人もの宿泊客を捌き切るだけの能力が備わっておらず、すぐに茶色くなるらしい。
その後、スタッフが屋根の上にのぼり、夕日に向かって歌い、そして踊る光景をただ呆然と眺めながら、僕たちは夕食をとった。
そして午後7時半(日本標準時では午後7時)ついに噂のミーティングが始まった。
真ん中に囲炉裏のあるだだっ広い広間に集められた(強制的に連れてこられた)宿泊客。その前でギターをもった男性スタッフたちが面白おかしく観光案内を始める。時より宿泊客に対し無茶ぶりをしてくることもあり、僕も思わずNGワードを言ってしまい、被り物をかぶせられるという屈辱を味わったが、思ったよりも耐えられる雰囲気である。大学のサークル合宿のようなノリだ。
しかし、1時間を過ぎたころ、それは突然始まった。
『は~い!それではみなさ~ん!!我々と御一緒に歌っておどりましょお~!!!』
戸惑いもなくさっと広間に広がる一部の宿泊客(たぶん常連客)。それに倣い、戸惑いを隠せないまま広がる、我々新規の宿泊客たち。
『それでは!!まずは!!!月光仮面!!』
月光仮面…。
21世紀だというのに月光仮面である。
当然現代っ子の我々に歌も踊りもわかるわけがない。そもそも月光仮面に踊りはあるのか?
しかし、何事もなく『月光仮面のおじさんがあ!!!』と歌い踊り始める常連客。
『はあ~い!!恥ずかしがらないで~!!!』
戸惑いを隠せない我々新参者に対して容赦なく浴びせられるスタッフの指導。人生で一度も踊ったことのない月光仮面を踊らざるを得ない雰囲気が我々を包んでいく。
『はあ~い!!次はどんぐりころころ!!!』
スタッフの掛け声に躊躇することなく動き出す常連客の皆さん。いい大人が『どんぐりころころどんぶりこ!!!』と叫びながら踊っている光景は恐怖すら感じる。
噂に聞いていたとおりだ…。そして、この異常事態が1時間以上続くのである。
しかし、不思議なことに始まって20分もたつと、この異常事態がなんだか楽しくなってくる。あれだけ戸惑っていた新参者たちも、ふと気づくと『どんぐりころころどんぶりこ!!!』と叫びながら踊っている。全員トランス状態だ。
一番驚くのは、全員シラフでこの状態ということである(桃岩荘は一切飲酒が認められていない)。これはもう、精神が崩壊しているといっていい。精神科の医者を招いて、この状況を見てほしいものだ。
小学生のころ、オウム真理教が社会問題となり、連日、彼らの修行の様子がテレビで流れていた。頭を振り、一心不乱に踊り続ける彼らの映像を見て、「なぜ彼らはこんなにバカみたいに踊っているのだろう?」と疑問に思ったものだが、まさか10数年後に自分が同じような状態に陥ろうとは…。これは一種の洗脳ではあるまいか。
結局、全員よくわからないまま1時間半ほど歌い踊り続け、衝撃のミーティングは幕を閉じた。
そして、祭りの後には、心地よい疲労感と不思議な達成感が残るのだった。
翌日、朝の4時半に起こされた僕たちは、よくわからないままブルーサンダー号エースに乗せられ、礼文島最北端のスコトン岬へ連れてこられた。40キロ先の桃岩荘(桃岩荘は礼文島の南の端にある)まで8時間かけて歩いて帰ってくる過酷な行事の始まりである。
この行事は、正式名を「愛とロマンの8時間コース」という。名前も知らないもの同士が8時間かけて協力しながら歩ききることで、愛が生まれ、ロマンに発展する…。実際に年に数組はカップルが生まれているという、独身男性にはたまらないドキドキ企画なのだが、どういうわけかこの日は女性の参加者が極端に少なく、2グループに分かれた結果、僕の所属したグループは男性6人女性1人、唯一の女性も既婚者(夫婦で参加している)という、愛もロマンも生まれようのない状況になってしまった。この状況で40キロ歩くのは、もはや苦行でしかない。
ちなみに、昨晩8時間コース参加者に対する説明会がミーティング後に行われ、その場でグループ編成がなされたのだが、どういうわけか僕と休職女子がそれぞれのグループリーダーに抜擢された。
そして『それでは!!他の皆さんは!!一緒に歩きたいリーダーの方へ並んでください!!』などというスタッフの号令が下ると、愛とロマンに飢えた独身男子たちは、一目散に休職女子のグループへ向かっていった。これは男として当然の行動であるので決して彼らを責めることはできないのだが(僕も行きたかった)、結局僕の方には、定年男子を含めた既婚者(愛もロマンもすでに獲得している人)と、休職女子のグループにあまりに人が集まりすぎた結果、ジャンケンで負けてしぶしぶ回ってきた男性たちがあてがわれた。
愛とロマン満載の休職女子グループ、そして愛もロマンも生まれようがねえ僕のグループ、2つの対照的なグループで、「愛とロマンの8時間コース」を歩いていく。
礼文島は平坦な島であり、大きなアップダウンはそれほどなく、とても歩きやすい。そして緯度が高い礼文島では、本州では標高の高い場所でしか見られない高山植物が咲き誇っている。珍しい植物にみんな大興奮だ。
そして、澄海岬やゴロタ岬など風光明媚な名所が次に次に現れ、大変楽しく歩くことができる。最初のうちは…。
3時間も歩くと、礼文島に対して大変申し訳ないのだが、正直言って飽きてくる。初対面であり、しかも愛もロマンも生まれようがないメンバーだからか、当然会話も減ってくる。後ろを歩いている休職女子のグループでは、きっと楽しいおしゃべりに花が咲いているんだろうなあ…。
それでもなんとか歩き続け、途中のちょっとした広場でお昼ごはんだ。
桃岩荘で注文した『圧縮弁当』をほおばるメンバー。市販の透明なプラスチック容器に、ご飯をこれでもかとぎゅうぎゅうに詰め込んで、上にそぼろを乗せただけの、戦時中の日の丸弁当と同じレベルで質素な弁当だったが、4時間以上歩いた僕たちにはどんなご馳走よりもおいしかった。「空腹は最大の調味料」とはよく言ったものである。
1時間ほどお昼休憩したのち、「もう一歩も動きたくない」と誰しもが心の中で思い、抗議の意味を込めて広場でゴロゴロしている中、メンバーの一人が出発の号令をかけ、しぶしぶ歩き出すことにした。
この声をかけたメンバーは、「愛とロマンの8時間コース」に毎年参加しているおじさんで、ルートを完全に熟知しており、方向音痴のリーダー(僕のことだ)に代わって、みんなを先導してくれている。スタートからここまで常に背筋を伸ばしたよい姿勢で腕組みをして歩いており、メンバーのなかでは密かに『仙人』と呼ばれていた。しかし毎年参加ということは、愛もロマンにもまったく縁がないのだろうか。それとも仙人だから愛もロマンも必要ないのかしら。
仙人の話題で多少盛り上がっていた我々。その前に、大きな崖が姿を現した。どうやらこの崖をくだらなければ先へ進めないようなのだが、砂でできているその崖は、上からのぞき込むと、傾斜がほぼ直角に見える。くだるのになんとも難儀しそうなのだ。崖の端には階段が用意されており、当然それをつかってくだるのだろうと僕たちは思っていた。するとである。
『駆け降りるんですよ。』
仙人がボソッとつぶやいた。
そして言うが早いか、彼は直角の斜面に飛び込み、腕組みをしたまま崖を駆け降りていくではないか。その姿はまさしく仙人そのもの…。
難なく下まで降り切った彼は、崖下で腕組みをしたまま僕たちを見つめている。
『さあ、はやく俺のレベルまであがって来い。』
そう言わんばかりに良い姿勢で堂々と立っている。
いやいや!あなた仙人だからできるんでしょ?とメンバー全員が突っ込みを入れるも、彼はがけ下で僕たちのことをいつまでも待っている。
あとから知った話だが、ここは8時間コースのなかで最もスリルにあふれた場所で、怖がっている女の子に男子が気の利いた言葉を投げかけ、手をつないで一緒に崖を駆け降りることで、愛が生まれロマンに発展する胸キュンポイントだったようだ。
そんなこととはつゆ知らず、僕たちは仙人に促されるまま、一人ひとり腕組みをしながら良い姿勢で崖を駆け降りていった。その姿はまさに、仙人のもとで修業に励む若僧のようだった。愛もロマンも生まれやしねえ…。
崖を降り切ると、今度は海岸沿いの岩がゴツゴツした道を仙人に導かれ歩いていく。先ほどの崖での所業をみて、我々の中では、「愛とロマン」の代わりに「仙人をリスペクトする心」が芽生え始めていた。当初は考えられなかった展開である。
海岸沿いをしばらく歩き、船でしかたどり着けないという驚きの集落で電話を借り、桃岩荘に定時連絡を入れる。途中で遭難していないかの確認のために、定期的に桃岩荘への連絡を入れることが義務付けられているのだ。
多少の休憩をとったのち、今度は海岸から斜面を登り、林道を歩いていく。
時計を見ると、すでに午後3時をまわっていた。なんと、歩き始めて8時間を超えているではないか。
そして、日が暮れてくるととともに、気温もぐっと下がってくる。さすがは日本最北限の地、礼文島。ただでさえ日差しの入りづらい林道を、寒さに震えながらとぼとぼと無言で歩いていく。(仙人は相変わらず腕組みをしてよい姿勢で歩いている。)
僕は夏だからということで、長袖はワイシャツ一枚しか持っておらず、寒さに震えながらも、仙人の姿勢を見ならい、できるだけ良い姿勢で歩いた。
そして、太陽が地平線の向こうに隠れはじめた午後4時半。僕たちの目の前に、ようやく桃岩荘が姿を現した。
長かった…。結局10時間近くか歩き続けているじゃないか。
『お~かえ~りなさ~い!!!』
夕日に照らされる中、屋根の上に上ったスタッフが相変わらずの大声で我々を呼んでいる。その姿を見た瞬間、僕は不覚にも少し感動してしまった。夕日に照らされたその光景のなんと美しいことか。
そして、わざわざ外に出てきた宿泊客に歓迎されながら、感動のゴール。
一日をともにしたメンバーたちと固く握手をかわし、全員で写真撮影だ。
そんなことをしていると「ああ、なんて素晴らしい一日だったのだろう。」と、いつのまにか満足しきっている自分に気づく。「愛とロマン」なんかなくたってかまわないぜ。
礼文島についた当初、稚内に戻りたいなあと、あれほどビクビクしていた自分が嘘のようだった。
そして、2日目の夜がやってきた。
狂乱の一夜が再び幕を開けるのである。
3日目。桃岩荘を離れる日である。
昨晩も当たり前のように行われた狂乱のミーティング。
夕食時、スタッフが『たのし~いたのし~いミーティング!!!』とギターをかき鳴らしながらやってきた時には、10時間以上時間歩き続け、疲労困憊だった僕たちは一瞬殺意がわき、危うく殴りかかりそうになるところを必死に抑え、冷たい視線を浴びせかけ、陽気に騒ぐスタッフを撤退させた。
それでも、疲れを押してしぶしぶ参加したミーティングでは1日目同様大いに歌い大いに踊り、充実した夜を過ごしたのだった。1日目に感じた羞恥心はどこへやら。ただただ夢中で踊り狂った。この2日で、明らかに桃岩荘にはまっていた。
出発の時、せっかくなので港まで歩くことにした僕たちに、スタッフ、そして宿泊客がわざわざ外へ出て見送りをしてくれた。
昨日、8時間コースをともにしたメンバーからは、『リーダー帰っちゃうの!!もう一泊しようや!!』と温かい声をかけていただき、不覚にも涙が流れそうになった。声をかけてくれた彼は、東京から稚内まで原付でやってきたという。社会人になっていなければ、僕もしばらくここにいついてしまったかもしれない。
桃岩タイムトンネルを抜けると日本標準時にかわる。いよいよ桃岩荘ともおさらばだ。
休職女子も定年男子も、そして一夜をともにしたメンバーたちも、はじめはおしゃべりしながら歩いていたが、トンネルを抜け、現実に近づいてきたあたりから、ただただ無言で歩きつづけた。桃岩荘を離れるのが寂しかったのだろうか。僕も正直寂しい気持ちでいっぱいだった。
港へ到着し、船に乗り込むと、いよいよ礼文島ともお別れだ。
…。
ふと、外から声が聞こえてくる。
『ももいわそうのみなさあ~ん!!!』
声に導かれ、甲板に出てみると、桃岩荘のスタッフ、そして昨日8時間コースをともに歩いたメンバーが港に集結していた。
『そお~れではみなさん!!!ご一緒に!!月光仮面!!!』
港で繰り広げられる月光仮面の踊り。そして、船の上の我々も、昨晩同様歌って踊る。
まさかのミーティングの再現。港や船上の一般人の目線なんてまったく気にせず、ただただ踊り狂う。なんて気持ちの良い時間なんだ…。
そして、出航の時間…。
『そおれでは!!みなさん最後に歌いましょ~う!!とおいせかいへ!!!』
最後にお互いに歌いあったその歌は、「月光仮面」や「どんぐりころころ」とは違い、どこか感傷的な気分にさせる名曲だった。
『あすの~!!せかいを~!!』
「か~えて~ゆこ~お~!!」
隣をみると、休職女子も定年男子も、泣いている。僕ももちろん泣いていた。
『そおれでは!!みなさん!!また、どこかで!!いってらっしゃあ~い!!』
「いって~きま~す!!」
『いってらっしゃあ~い!!』
「いって~きま~す!!」
そのやり取りは、お互いが見えなくなるまでずっと続いたのだった。
稚内へ戻ってきた。
3日ぶりの現実世界。3時間前まで踊り狂っていたのが嘘のようだ。
ちょうど乗り合わせた桃岩荘メンバーで、最後にイカを食べにいった。
食事が終わるころ、同席していたライダーの一人がこんなことを言った。
『きっとまたどこかであえますよ。旅を続けていればね。』
バイクでさっそうと走っていった彼の一言がとても心に響いた。
きっと桃岩荘で出会ったみんなとも、どこかで出会えることだろう。
ところで、彼は誰だったのだろう?あんな人、桃岩荘にいたっけ?
定年男子は、稚内から飛行機で帰るということなので、ここでお別れ。固く握手をかわすと、とても寂しい気持ちになる。
休職女子と定年男子、そして僕。稚内で出会う3日前まではまったくの他人だったのに、別れで寂しくなるなんて、なんとも不思議なものだ。これも桃岩荘マジックなのかしら。
休職女子と僕は、引き続き一緒に宗谷本線に乗り南を目指す。
右手に利尻富士を眺めながら、宗谷丘陵をゴトンゴトンと列車は走っていく。
4時間ほどかけて名寄の一駅前の日進駅に到着した。
僕はここで降りる。そして、彼女は美瑛へ行く。ここでついにお別れだ。
「それではまた!」
『またあいましょう!』
そういって握手を交わした僕たちには、桃岩荘で結ばれた深い絆が芽生えたような気がした。(愛は芽生えなかったけど。)
列車を降りるとき、彼女はわざわざ乗降口まで来てくれて、あろうことか『とおいせかいへ』を踊り付きで歌い始めた。
ここは礼文島ではないため乗客の視線はかつてないほど冷たかったが、そんなことも気にせず、僕も駅のホームで踊り続けた。2人とも笑顔だった。
そして、列車が見えなくなるまで、夕暮れのホームで、何度も何度も手を振り続けたのだった。
こうして、3日間に及ぶ桃岩荘体験は幕を閉じた。
噂どおりに濃い宿だったが、わずか3日のうちに、すっかり虜になってしまっていた。「また来年も行こう」
名寄のユースホステルへ向かう畑の中の一本道を歩きながら、僕は心に決めたのであった。
しかし、これほどまでに感動的な時間を過ごしたにもかかわらず、いざ現実に戻り、あの3日間を思い返してみると「あの狂乱の一夜は何だったのだろう…」「月光仮面を踊るなんて…。ああ、僕はなんて破廉恥なことを…」と恥ずかしさのあまり赤面してしまうのである。そして再訪を決断したにもかかわらず「2度目はいいかなあ…」とあっさりと思ってしまうのであった。僕は洗脳にはかからないタイプなのかもしれない。
そして、旅が終わり10年が経った。
自粛生活に疲れ、あまりにも旅に出なさ過ぎたストレスでおかしくなったころ、ふと桃岩荘のことを思い出し、今頃になってこの文章を書いてみた。
当時の写真やパンフレットを見返してみると、10年前のあの旅を、昨日のことのように鮮明に思いだせることに驚いた。それほど、強烈な、そして思い出深い体験だったのだろう。
そして思い出すたびに、なんとも懐かしい、胸がキュンとなる切ない気持ちがこみあげてくるのである。