北國紀行 その4 遠野哀歌

遠野には昼前についた。

津山女子を待伏せしようという不埒な理由で早起きしたこともあって、思いのほか早く到着した。

 

駅を出ると、交番やお店など、そこら中にカッパがいた。

遠野は民話の故郷で、妖怪がそこら中にいるという噂の街なのである。

 

駅前の小さな食堂で東大生とお昼ご飯を食べ、自転車を借りて遠野の街を散策する。どうやら台風が来ているようで生暖かい風が吹いている。

途中の案内板に「寒戸の婆」という伝承が書かれていた。

嵐の日に神隠しにあった女性が、数年後の風の強い日にふらっと戻ってきたそうだ。きっと今日のような風の強い日だったのだろう。

座敷童がいそうな家を再現した伝承館や、カッパがいるというカッパ淵、民話を動画で再現した博物館など、遠野は思いのほか楽しい場所である。

充実した1日を過ごし、本日の宿である「遠野ユースホステル」へと向かった。

 

遠野ユースは、同じユースホステルでも平泉の宿とは違い、とても家庭的な雰囲気だった。ユースホステルというものもいろいろとあるのだなあ。

夕食を食べてからは、2階の談話室でオーナーさんの観光案内と雑談タイムの始まりである。

平泉の宿とは違い宿泊客も多く、賑やかい雰囲気の中、夜は更けていった。

 

翌日、秋田へ向かおうと早起きすると、「台風で列車とまっているよ」とオーナーさんが言う。

外を見ると、確かに風が強かった。

「こんな風の日は「寒戸の婆」が帰ってきそうだなあ」

オーナーさんは空を見上げてつぶやいた。

しかし、雨は全く降っておらず、それどころか、少し晴れ間さえ見えるではないか。

お客を逃がさないためのオーナーさんの策略では、と疑ってはみたものの、確かに列車は止まっているようだ。これは連泊決定である。

旅にトラブルはつきもの。

トラブルのない旅など旅ではないのだ!

 

宿で自転車を借り、強風の中を、今日も遠野を散策だ。

北の方で金精様というち●こをかたどったご神体をまつる怪しき神社を見学し卑猥な気分になると、今度は東へ向かいデンデラ野というかつての姨捨山を訪れちょっと怖い気分に。本日も十分に遠野の里を満喫したのである。

再び宿へ戻り、夜には相変わらずの雑談タイムが始まる。

しかし、コミュ障であり人見知りである僕は、ここにきて大勢の人の前では、自分から話ができないということに今更ながらに気が付いた。

東大生はぺらぺらしゃべり続けているのだが、同い年の僕はと言えば黙ってばかりいる。

オーナーさんの奥さまも「思ったよりしゃべらないよね」と気にかけてくれる始末。

なんというか、話すタイミングがつかめないのである。

わかってはいたが、僕はコミュ障だった。

臆することなくぺらぺらしゃべる東大生をうらやみながら、なんとも悲しい気持ちになり、僕は寂しくベッドに入った。

 

翌朝、昨夜のことを思い出し少し落ち込んだ気分の中、東大生とともに出発するため外へ出る。

本当にこのまま、コミュ障のまま遠野を去ってもよいのかしら。

うじうじした気分で玄関付近をうろうろしていると、

「帰ってきてもいいからね!」

昨夜気にかけてくれたオーナーさんの奥さまが、やさしく声を掛けてくれる。

奥さまはきっと、僕の心の中を見透かしているのだ。

「そんなこというと、本当に戻ってきちゃいますよ」

「もちろんいいよぉ!」

そんな会話をかわして、僕はバス停へと向かった。

 

遠野駅までのバスの中で、僕は本気で迷っていた。

この気持ちのまま、本当に遠野を離れてもよいものだろうか。

今回の旅は函館が目的地である。しかし台風の影響で、すでに遠野に1日余分に滞在しているため、今日遠野を離れないと、予定通りに函館へ到着でいなくなってしまう。緊急事態である。

それにもかかわらず、奥さまの言葉が頭から離れない。

「帰ってきてもいいからね」

何度も何度も忘れようとするのだが、やはり迷いは消えない。

 

遠野駅へ着き、東大生が改札をくぐっていくのを黙って見守る。

それでも迷いが消えない。ここで遠野を後にすると一生後悔する気がする…。

そう思った僕は、ここまで数日間ともに旅してきた東大生を非情にも巻いた。一度乗り込んだ列車を、発車直前に飛び降りたので得ある。

そしてそのまま駅近くの河原へと向かい、東大生の乗る列車が行くのをただぼんやりと眺めたのである。さらばだ、東大野郎。

 

思い切って列車を飛び降りたものの、この後どうしたらよいのだろう。

河原で一人ぽつねんと座り、今後の展開を思案する。

というよりも、本心はもう一泊したい気持ちでいっぱいなのだが、どこか踏み切れない。

この状況で「もう一泊させてください!」て、正直恥ずかしくないですか?電話なんてできなくないですか?

どうしようどうしよう…。

迷いながら、河原で何本もの列車を見送る。

気づけば、時計の針は10時を回っており、2時間近くも河原でうじうじしていたことになる。優柔不断な腐れ大学生、ここに極まれり!

というよりも、いまからでは、今日中に函館へ着くのはどう考えても無理なので、意を決して、宿へ連絡することにした。

「あ、あの、昨日とまった腐れ大学生なんですけど…」

「あ、帰ってくる?」

「いいですか…」

「もちろん!」

電話に出たのは奥さまだった。

僕は自分の恥をなるべく見せないように、「河原で寝ていて列車に乗り過ごした」という偽りの記憶を作り上げ、万全の態勢で電話に臨んだのだが、奥さまはすべてを見抜いたように、けらけらと電話の向こうで笑っていた。

 

まさかの3日目の遠野を散策し、8時間ぶりに宿へと出戻る。

宿のオーナーさんも奥さまも、アルバイトの女の子も、本日同宿の年上系女子2人もにやにやと笑っていた。は、はずかしい…。

 

この日は宿泊客も少なかったためか、夜の雑談タイムもまったりとした雰囲気だった。おかげで、コミュ障な腐れ大学生でも会話に入ることができ、楽しい時間を過ごすことができた。

雑談タイムが終わり、眠る前に少し外の空気をすいたくなった。

外へ出ると、頭上には一面の星空。

こんな美しい星空を見ることができたのも、勇気をだしたおかげなのである。

勇気を出して、もう一泊してよかったなあ、と満足した気分で空を見上げる。

吹く風はどこかひんやりとしていた。

秋はもうそこまで近づいてきているようだ。