北國紀行 その3 平泉恋歌

平泉の駅から歩くこと15分ほど。

平泉の中でもトップクラスの観光地として名高い毛越寺のなかに、本日の宿はある。その名を「毛越寺ユースホステル」という。

宿泊客は僕のほかに2人いた。一人はなんと東大生である。

東大生って本当にいるんだあ、と感嘆の声をあげつつ、彼とともに近所の公共浴場へ向かった。

平泉の街は畑が多く、かつて奥州藤原氏が栄華を誇った場所とは到底思えないほど、素朴な雰囲気だった。

 

宿へ帰ると、東大生ともう一人のおじさん、そして宿のオーナーと夜遅くまでトークをした。

ユースホステルとは旅人の交流を目的とした宿なので、各自の旅の思い出で花が咲いた。

おじさんはかなり旅慣れているらしく、礼文島のユースや、松江のユースについて教えてくれた。

両方とも、自分と今後大きく関わってくる場所なのだが、この時はまだ知る由もないのである。

 

旅人とのトークが思いのほか盛り上がり、すっかり夜更かしをした翌日は、朝から自転車を借りて、平泉の街を走り回ることにした。

旅人の義務である観光へ出かけるのである。

 

まずは何はともあれ中尊寺である。

奥州藤原氏が眠る壮大なお寺は小高い山の中に堂宇が立ち並んでおり、序盤から坂だらけで、寝不足の旅人には堪える。

それでも気合で急坂をあがり、金色堂を見学し、旅人の義務を果たす若人。

 

平泉には街中に奥州藤原氏源義経関連の史跡が転がっており、旅人を退屈させない。

一つ一つの史跡はそれほど派手さが無いため、退屈する旅人もいるはずではあるが、歴史が大好きな僕にとってはなんとも楽しい場所であった。

 

衣川の戦いで戦死した源義経を祀る義経堂の小高い丘からは、壮大な北上川の姿も見ることができた。

ゆったりとした北上川を眺めながら、堤防をのんびりと散歩した。

平泉はどこへいっても田舎だった。

かつての栄華はどこへやら。

兵のどもが夢の跡なのである。

 

東大生と合流し、昨日に引き続き温泉で汗を流してから宿へ帰ると、今日は少し年上の女の子がお客として泊っていた。

岡山県津山市出身の彼女は、とても明るい女性で、女性に免疫のない僕と東大生はあっという間に恋に落ちた。

しかし、その場では楽しくおしゃべりができたとしても、やはり免疫のない腐れ大学生である僕らは、連絡先を聞くという大胆な行動をついに起こすことができず。

彼女とは一晩の甘い夜(談話室でのおしゃべり)を過ごしただけで終わったのである。

 

翌朝、始発に乗るという年上系女子を見送ろう、あわよくば連絡先を聞き出そう、と早起きをしたものの、彼女はすでに旅立ったあと。

寂しく平泉駅まで歩いていく悲しき腐れ大学生たち。

今日の目的地は民話の故郷、遠野である。