台湾リベンジ 第9夜 台東
2008年1月23日
『ウ~ッワンワンワン!!』
『キュウ~イ!!キュウ~イ!!』
『キャキャキャキャ!!!』
…。
怖い…。
深夜から街中に響き渡る獣(と思われるもの)たちの鳴き声。
ここ多納村は山の中のちょっとした土地に作られた村。最寄の街から車で1時間以上、バスすらも通っていない正に陸の孤島。
もし名探偵がこの村にやってきたら、何らかの原因で間違いなく道路が寸断され、密室となったこの村で首狩り原住民をテーマとした殺人事件がおそらく起きるだろう、それぐらい秘境じみた場所なのだ
そんな村に一晩中響き渡る獣たちの声。
『ウ~ッワンワンワン!!』
『キュウ~イ!!キュウ~イ!!』
『キャキャキャキャ!!!』
2階とはいえ窓は開けっ放し(クーラーがない)の宿の部屋、下手したら猛獣どもが屋根をわたって侵入してくるかもしれないという恐怖に怯え、なかなか寝付けない。
…。
そして朝。
…。
よかった、生きてる…。
朝になると猛獣どもの鳴き声も聞こえなくなり、再び平和な村が戻ってきた。
ほとんど睡眠が取れなかったので、この平和な雰囲気の中一眠りしようかしら。
『先生~先生~!!』
…。
眠いのに宿のおばちゃんが呼んでいる。ちなみに中国語で男性を呼ぶときには『先生』というらしい。ついでに言うと学校の先生などは『老師』と呼ぶ。『老師』って格好良すぎだろ…。
ということは僕は4月から『事務の老師』になるわけである。あまり格好良くないなあ。
『先生~!おきてるけ~!?』
「はいはい、早!朝からどうしたのよおばちゃん?」
『あんた今日は何時に帰る?タクシーよんでやるけ~な~』
そういえばここから大津の街までは交通機関が何もないんだっけ。行きはHappy一家の車で来れたけど、冷静に考えたら帰りは交通手段が何もないのだ。
「う~んそれじゃ9時ごろで」
『はいはい、電話しとくでね~』
そういうとおばちゃんは中国語で電話を掛け始めた。
すごい。つい先ほどまで僕と日本語で会話していたというのに、今はもう中国語で会話をしている。格好よすぎるぜ、おばちゃん。バイリンガルじゃないのさ。
ちなみに、昨晩あまりにもすることがなかったため、おばちゃんとしばらくトークをしていたのだが、おばちゃんは戦前の生まれで、終戦の時には小学2年生くらいだったらしい。つまり生まれてからしばらくは日本人として日本語を話しながら生きていたわけだ。それがある日突然、明日から中国語を話せと要求されたのだ。
おばちゃんがバイリンガルな理由はここにあるのだが、しかしいきなり『明日から日本語禁止!中国語で生活しなさい!』なんて厳しすぎる。僕がこの立場だったら多分夜逃げする。
ちなみに、小さかったときに習った日本語を今も忘れずにいる理由は、先日、得恩谷の民宿のところでも書いたけど、原住民の間では戦後しばらくは日本語が公用語として使われていたためらしい。
台湾には多くの原住民が住んでいるが、言葉はそれぞれの部族ごとに異なっていたらしく、部族間で意思疎通を図ることすらできていなかった。それが日本の植民地となり、日本語が公用語となったことで、部族間で意思疎通を図ることが可能となった。それ故、戦後に日本語が禁止されても原住民の間では部族間の交流を図る言語として日本語が使われていたそうだ。
おばちゃん曰くこれでもかなり日本語を忘れてしまっているという。だから、僕のような日本人の客が来た際には、日本語でおしゃべりをして忘れないようにしているそうだ。これでおばちゃんが僕を見つけるとやたらと話しかけてくれる理由がよくわかった。
しかし原住民の間で残る日本語の謎を紐解いていくなんて実に興味深いじゃないか。こんなことなら、もう少しこの村にいて色々と調べてみたいものだが。
『先生~!タクシーきたよ~!』
もうタクシー呼んでしまったもんなあ…。
この謎は次回への宿題ということにしよう。
「それじゃあおばちゃん、お世話になりました」
『はいはい、あんたも元気でねえ、またいつの日かお会いしましょう』
「うぅ…おばちゃん(´;ω;)」
またいつの日かお会いしましょうか。こりゃもう一度この村にこなくちゃいけないな…。
僕はおばちゃんと一緒に写真を撮りタクシーへ乗り込んだ。
「さようなら~またきますね~!」
タクシーの中から僕はしばらく手を振り続けた。おばちゃんもそれに答えるかのようにいつまでも外で見送ってくれた。
さて、カーブの多い山道を1時間ほどタクシーにゆられ、車酔いでリバース寸前になったころようやく大津の街に到着した。
ここからはバスで塀東へ戻り、列車で台東を目指す。いよいよ旅も後半戦に突入だ。今日から一週間ほどかけて台湾の東海岸を北上することになる。
ちなみに台湾の東海岸は地味だ。魅力あふれる観光地がひしめく台湾西海岸と比べると、観光的な魅力にはかなり乏しい。
それに加えて交通事情も厳しい。大都市の連なる台湾西海岸は新幹線やら特急電車やらがバンバン走っており、高速道路も発達していることから高速バスも充実している。
それに対して東海岸には主要な都市が台東と花蓮くらいしかないため新幹線が走っていない。特急も少ない。高速道路ももちろんなく、それ故バス路線も充実していない。日本で例えるなら、日本海側の山陰地方みたいなものだ。そしてこの例えは山陰地方の人にとって大変失礼だ。
その東海岸を1週間かけて北上しようというのだから…。見どころもないのに、果たして1週間楽しめるのだろうか。
大津の街を出発したバスは、小さな集落をいくつも通過しながら走っていく。そしてものすごく揺れている。
台湾はバス大国であり国内には無数のバス会社が存在している。台北発着の路線を持つ大会社は設備も充実、揺れも少なく快適なバスの旅が期待できる。
しかし、これが地方路線のみのちっちゃな会社になると話は別だ。とにかく設備がすさまじくぼろい。
例えばこの塀東客運。椅子の揺れ方がとんでもない。とにかく洒落にならないくらい揺れる。椅子、固定されてないんじゃねーか?という疑問を抱くこと請け合いである。小学生がこのバスを利用して社会科見学へ行こうものなら、クラスの9割はリバースしバス車内は阿鼻叫喚の地獄絵図と化すだろう。それくらいの揺れるのだ。
旅なれた男である僕は事前に酔い止めの薬を飲んでいた(その割にはタクシーの中で酔った)ので事なきを得ているが、他の客はやばいんじゃないか…。
と思ったけど乗客は僕以外にいないので一安心!(経営的には大問題)
さて、そんなガラガラのバスに突然大量の客が乗り込んできた。
『は~い、それじゃあ空いている席に仲良くすわるんですよ~』
『は~い^^』
出た、幼稚園のちびっ子たち。
僕しかいない快適な空間を侵すのはやめていただきたいのだが、ちびっ子たちはかなりの人数がおり、当然僕が座るバス最後部の広々とした座席にもやってきた。
うるさいんだよなあ…。どこかにいってくれないものかなあ…。
と、今までの僕なら思うところなのだが、なんと言っても4月から学校の事務の老師になる人間である。上記のような不満はおくびにも出さず、彼らに席を勧めてあげた。
『しぇいしぇい^^』
よくできた子達である。そして何とも可愛らしい。
連合赤軍のようなぼろぼろの身なりの男が『可愛らしい』と言うなんて正直気持ち悪いのだが、多納村の緩い雰囲気にどっぷりと浸かってしまっていた僕は、あろうことかちびっ子たちにカメラを向けだした。悪いが日本でこんなことしたら現行犯で逮捕されるレベルである。
さすがにちょっと引き気味なちびっ子。しかし、僕の真横に座った少年だけはやたらとノリがよく、自らピースまでしてきた。よく出来た子だなあ、ここら辺の子たちは。普通警戒するぜ、言葉も通じない外国人旅行者にカメラを向けられたら。
彼の名は黄くん(ふぁんくん)。ちょっと茶髪でなかなか格好良い少年だ。そしてなんにでも興味を示すお年頃らしく、僕がカメラを向けるとやたらと喜んでいた。
さてカメラに飽きると次は僕の持ち物に興味を示しだした。特に、僕のバッグにつけていたキツネのキーホルダー(伏見稲荷大社で購入)にやたらと食いついてきた。
『ちょっとさわらせてよ~』
「だめ」
『ちょっとでいいからさ~』
「本当にちょっとか?しょうがないなあ」
『わ~い^^』
可愛らしくキツネをいじりだすふぁんくん。その姿を見て思わずいい顔になる私。いやあ子供っていうのはかわいいねえ。
そして次の瞬間、僕のバッグからおもむろにキツネを外そうとずるふぁんくん。
「おい、ちょっと油断したらこれだよ!とるんじゃない!」
『ちょっとくらいいいじゃん!』
「だめ!」
『うぅ…』
突然泣きそうになるふぁんくん。
まてまてまて。ここで泣かれたら明らかに僕がイタズラしたっぽいじゃん。
「わかった、泣くな!取ってもいいから!」
『わ~い!』
危なかった…。若干はめられたような気もするけど、まあかわいいからいいよ。逮捕されるよりはましだ。
そんなことを考えちょっと彼から目を放した隙に、おもむろに自分のカバンのファスナーにキツネをつけるふぁんくん。
「おい、返しやがれこのやろう!」
『ちょうだい!』
「だめなの!それは大事なものなの!」
『うぅ…』
「うるさい!その手には乗らん、返せ!」
『うぅ…(うるうる』 ← 瞳を潤ませながら見つめてくるふぁんくん
「うっ…そっそんな潤んだ瞳で見つめてきてもダメなものは…」
『ぅぅ~(うるうる』
「ぐっ…」
『ぅぅぅ~(うるうる』
「…」
『ぅぅぅぅ~(うるうる』
…。
だめだ…。僕の負けだ…。そんなかわいらしい目で見つめられたら返せなんてとても言えない…。
『しぇいしぇい!ばいばい♪』
そしてバスは止まり、満面の笑みで降りていくふぁんくん。と、伏見稲荷のキツネ。
さよならキツネさん。台湾の地で立派に生き抜くんだよ…。
ふぅ…。
いろいろとあったけれどようやく塀東まで戻ってきた。
疲れた…。すごく疲れた…。
ここからは特急列車『自強号』で台東へ向かうわけだが、この路線は海沿いを走るため景色が非常に良い(らしい)。青い空、白い砂浜、生え渡る椰子の木…と非常に南国チックな風景と出会える素晴らしい路線なのだ(そうだ)。
なお、車酔いとの死闘、及びふぁんくんとの激闘で疲れ果てた僕には塀東を出てから台東へ着くまでの記憶が一切ないため、ここではあくまで(らしい)とか(~だそうだ)などという曖昧な表現をさせていただくが、(たぶん)すばらしい路線なのでみなさんも是非乗ってみるべきだ。
さて、前回の『ぼっちで台湾』でも述べたとおり、台東駅前には何もない。日本の感覚からすると、駅前、それもその地方で最大の街(台東は台湾東部最大の人口をほこる)の最寄り駅の周辺というのは、そこそこ栄えていて当然である。
しかし台東駅前には本当になにもない。標高2000mの山中でさえあったコンビニすらないのだ。その点においては多納村と同レベルなのだが、しかしここにはバス停があるので、多少は台東が勝っているといえる。
ちなみに、台東の市街地まではバスで10分ほどかかるらしいのだが、そのバスがなかなか来ない。たとえ来たとしても、本当に街中行きのバスなのか確認をしないといけない。
前回の旅では、台北から夜行バスで深夜3時に高雄に到着し、色々とあってその日の早朝に塀東へと移動し、さらに様々なことがあってその日のお昼過ぎに疲れ果てた体でここ台東へ到着したのだが、街中行きのバスがまったく来ず、ようやく来たバスにも行き先が違うと乗車を拒否され、散々打ちのめされた挙句、速攻で花蓮行きの列車へと飛び乗り、結果として半日ほどで台湾を3/4周するという苦い経験をしたのだ。
しかし、ここまで1週間台湾を旅し、山中で台湾人を爆笑の渦に巻き込んだり、日本代表として『涙そうそう』を歌いきったりした『旅なれた男(自称)』に死角はなかった。今回は秘策アリである。実はこのような事態を避けるべく、昨晩から綿密に対策を練っていたのだ。
列車から降りた僕は、改札を抜け、一目散に出口へと向かった。
いったいどこへ行くというのか。前日から練っていた秘策とは果たして…。
「タクシーのおばちゃん!台東旧駅(台東の中心)までお願いします!」
『旧駅?OK~』
バスがなければタクシーを使えばいいじゃない。
台湾のタクシー料金は日本に比べるとかなり安いので、10分ほどの乗車なら金銭的には痛くもかゆくもないのだ。
どうしてタクシーにのらなかったんでしょう?ねえ?1年前の僕。
なお、当時の僕(旅なれていなかったころ)は、初めての台湾旅行の際、友人たちと一緒にタクシーでぼられるという経験をしていたため(初代『台湾紀行』には未掲載)、タクシー恐怖症になっていた。『ぼっちで台湾』における高雄駅前及び花蓮駅前でのタクシー運転手との死闘をご覧いただければその様子がわかることだろう。
えっ?学生の貧乏旅行でタクシーを使うなんてナンセンス?
だったらバスで行けばいいじゃないの。台東の駅に来たら誰だって思うよ。
『あ~いつまでたってもバス来ないなあ。タクシーはこんなにたくさんいるのになあ。これ乗ればすぐに街中にいけるのになあ。乗りたいなあ…』
って。それでもバスが良いっていうのなら、何もない台東の駅前でいつまでたってもやってこないバスを黙って待ってなさいよ!
疲れ果ててイライラしており、脳内でぶつぶつ不平不満を吐き出し少しすっきりした僕は、街中に到着すると、タクシー降車場のほぼ目の前にある安宿に特攻し今晩の寝床を確保。その後、夕闇迫る街中へ飛び出し、ふと目に付いた鉄板焼きのお店で焼肉と白飯という最高の組み合わせの夕食で腹を満たした。原住民の村で食べた魚の丸焼きや鹿の肉、祭りの時にしか出さない粽なんかもおいしかったけれど、やはり育ち盛りの学生には『肉と白飯』が一番である。
…。
簡単に『宿を決めて夕飯を食べた』って書いているけど、この1週間で
随分成長したよなあ。だって一週間前はおどおどしすぎて嘉義で地上げ屋に間違われたんだぞ。台中では値段を吊り上げられたんだ。立派になったもんだ…。
夕食を終え店を出ると、すでにあたりは真っ暗。しかし、1人ぼっちの旅人にとって夜はこれからである。
まずは街の散策である。この程度の規模の街にはCDショップやら本屋さんやらが必ずあるものなので冷やかしにいくのだ。それが僕の夜の過ごし方第一弾である。
街の中心(と思われる)にあるアーケードを歩く。
さ~てCD屋はどこかねえっと。
…。
おや…。
…。
どこにもないぞ…。
台東の街中はそれほど広くなく、すぐにでも周ってしまえるのだが、右へ行っても左へ行っても、そして街を何周歩いてもCD屋や本屋は見当たらない。
おいおい、『台東には何もない』なんて言ったけど、ここまで何もないのかよ…。いつもならこれらの店を冷やかすことで2時間ほどを過ごしているのだが、これは完全に誤算である。
ちなみにセブンイレブンはある。何もない夜のアーケード街を徘徊していると確実に通報されると感じた僕は、セブンイレブンで夜食を買い込み、おとなしく宿へ戻ることにした。
さて、外で時間を潰せなかったのは完全に誤算だったが、夜の過ごし方はもちろんこれだけではない。
第2弾はテレビ鑑賞。見るのはもちろん、観月ありさである。原住民の村にはテレビがなかったため、彼女に会うのは休日も含めて実に6日ぶりとなる。
シャワーを浴びベッドに寝転がり、夜食のポテトチップスの袋を開け準備完了。ピッ!!(テレビの電源をいれた音)
…。
あれ?
なにこれ。違うドラマじゃない。
チャンネルは、間違ってないよなあ…。おいおい、なんでだ…?
…。
まさか…。
放送終了…。
非情にも、毎晩楽しみにしていた観月ありさのドラマは、僕が原住民の村で宿泊客にいじられていた間に最終回を迎えていたのだ。
最悪だ…。
あんな視聴率の低いドラマ日本ではDVDも発売されないし再放送だって絶対にされない。それくらい貴重なドラマなんだ。おいおい、結末はどうなるんだよ。ありさの恋の行方は!?
ドラマの結末はものすごく気になる。
しかしそれはこの際置いておくとして、これからどうやって夜を過ごすのかが当面の課題である。
残念ながら、現在放送されているドラマは僕の興味を全く惹かないためテレビ鑑賞で夜を過ごすのは不可能。
だからといって誰も居ないアーケードを徘徊していたら地元ヤンキーの餌食だ。
どうしよう…。
僕は途方にくれながらベッドに寝転がった。
時計の針は7時を指している。夜はこれからである。