ヨーロッパ紀行 第10夜 プラハ

スメタナ交響曲「わが祖国」が流れる中、バスはプラハ市内へ入り、中央駅前で停車した。ヨーロッパ4か国目、チェコ共和国に入国である。

今回の旅で僕は「世界一美しい街を探せ」というテーマを掲げていた。一人旅のむさい男子が絶対に掲げてはいけないテーマである。

出発前に調査した結果、チェコ共和国の首都であるプラハは中世の街並みがそのまま残る、世界一美しい街の一つであることが判明。これは訪れないわけにはいかない…。と目標に定めたわけであるが、果たしてチェコへはどう行けばいいのか、皆目見当がつかなかった。確かに飛行機で一気にチェコへ入るのが一般的であるが、僕は軽い気持ちでパリから陸路で目指すことにした。しかし陸路となると、これがなかなか難しい。ネットで旅行記などを検索してもいまいちヒットしない。本当にチェコに行きたい人は間違いなく空路で行くので当たり前である。そして浜松駅の中にある大きな本屋さんで「ヨーロッパ鉄道時刻表」を購入し、英語で書かれた時刻表を何とか解読し、ついにニュルンベルクからプラハまで、1日に5便程度高速バスが出ていることを発見した。それ以外の経路となると、聞いたことのない国境の田舎町から、1日に1本しかない鈍行列車で国境を超えるパターン。列車に乗りつげなかった場合のことを考えるとこれは時間のロスがあまりに大きすぎる。そしてフランスからスペインへの国境越え(ピレネー越え)の悪夢がよみがえる…。ピレネー山中、カンフランというどのガイドブックをみても載っていない街で過ごしたあの無駄な時間を…。

午前9時過ぎ、ニュルンベルク駅前のバス停へ行くと、2階建て大型観光バスがすでに到着していた。ちょっと、ホントにこれに乗ってもいいの?2階建てバスなんてのったことないよ。

どうやら眺めの良い2階は1等席、普通の眺めの1階は2等席と区分けされているようだ。本来、バックパッカーである僕は2等席に座るべきなのだが、自動券売機の前で悩みに悩んで結局1等席を購入。さすがに一等席だけあり紳士淑女の皆様があつまり、短パン男子であるぼくは、あいかわらず周りの乗客から浮きまくりとなったわけである。

 

プラハ中央駅前でバスを下車し、まずは駅構内にある両替所へ向かった。チェコEU加盟国ではあるが、共通通貨のユーロには参加しておらず、独自のコルナいう通貨を使用しているらしい。つまりここまで大活躍してきたユーロはここでは何の役にも立たない。

「どぶりーでん!」※チェコ語でこんにちは

『ドブリーデン!コンニチハ日本人!』

「どうもどうも。すみません両替を…。」

『OkOK!ドモアリガト!』

さすが一大観光地プラハの両替所。英語の不自由な僕でもなんなくチェココルナを手に入れることができた。

両替したばかりのコルナを手に中央駅内の自動券売機で地下鉄・路面電車の1日乗車券を購入。電車を乗り継いで本日の宿へと向かった。

 

本日の宿は、プラハへ行くと決めた時点で日本からネット予約をしていたため、難なくチェックインに成功。しかし部屋に窓がないなど不満な点が多かった。ニュルンベルクの宿が予想以上に素晴らしかったのでなおさら感じてしまう。

しかしそんな不満は置いておいて、ホテルで荷物をおろし、何はともあれ街へ繰り出す。なんといってもここは世界で一番美しい街なのだから。

ホテルから歩いてすぐの停留所から路面電車に乗り込み、カレル橋へ向かう。モルダウ川にかかるこの橋からは、プラハ城の絶景が見えるとのこと。

しばらく街中の通りを走った電車は、途中進路を変え、川沿いの道を走り出した。噂のモルダウ川だ。川沿いのカフェではプラハ市民が思い思いにくつろいでいる。そして川の向こう側にはプラハ城の姿が…。

目的のカレル橋まではもう少し距離がありそうだったが、早くプラハ城を見たいという気持ちで路面電車を途中下車し、川沿いへ駆け寄る。

太陽に照らされキラキラ輝くモルダウ川越しに眺めるプラハ城、そしてプラハの街は、夏の青空をバックに素晴らしくきれいだった。視界のなかに近代的な建物が全くないその光景は、きっと中世の時代からほとんど変わっていないのであろう。何百年前の人とほぼ同じ光景を眺めていることがとても不思議に感じてくる…。

その後はカレル橋まで川沿いを歩き、途中のお土産物屋さんにおかれていたマトリョーシカチェコは旧共産圏のため売っていた)に感動し、ようやく到着したカレル橋でも美しき風景を堪能。橋を渡り高台に位置するプラハ城めざし坂を上り、今度は高いところからプラハの街を眺めてみる。プラハはかつて「百塔の都」といわれるほど教会の塔などが多かったらしく、いたるところに教会の塔や煙突などが見えた。屋根は赤茶色をしており、街全体が赤っぽく見える。そしてやはり、近代的な建物は全く見られない。きっとここからの眺めも、中世の時代から変わっていないんだろうなあ。

プラハ城はあまりに広大なため、チケットは2日間有効(そしてお値段も高い)であり、とりあえず本日は城内で一際目立つ教会へ行ってみることにした。

日本人がイメージするお城というと、やはり中心には天守閣がどーんとそびえているイメージが強い。

一方西洋のお城は、天守閣ドーンというより城壁が主で、城壁の中にちょっとした砦がそびえているパターンが多い。中には城壁の中に街そのものが入り込んでいるパターンもある。

そしてここプラハ城は、砦などは一切なく、教会や礼拝堂などがころころ立っていて、とてもお城のような気がしない。街中で教会めぐりをしている感じがする。一つにお城といっても国によってこうも違うのである。

 

お城なのか教会なのかよくわからないプラハ城を見学したのち、街へ繰り出すことにした。中世そのままの街並みの中へ突入である。

まず訪れた共和国広場は、周りをいろいろな教会で囲まれた大変美しい広場で、そこら中に観光客相手のカフェや土産物店があり、夕方にもかかわらずとても賑やかだった。さすがヨーロッパ随一の観光地である。

しかし、賑やかな広場を抜けてしばらく通りを歩くと、先ほどの賑やかな広場とは違い、ずいぶんと暗い印象を受けた。街並みはパリに似ている感じがした。しかしパリと比べると、人通りも少なく、どこか暗い雰囲気が漂っている。観光客の集まる広場はにぎやかだが、一歩離れて一般市民の活動エリアへ入ると雰囲気がガラッとかわったのである。

通り沿いに共産主義時代のチェコをテーマにした博物館を発見。少し覗いてみることにした。館内では共産主義時代の市民の反抗の様子を写した映像が流れていた。チェコ語の映像なのではっきりいって何を言っているのかわからない。ただ、市民の力でこの自由な社会を勝ち取ったということは伝わってきた。共産党一党支配の抑圧的状況から市民の力で自由を勝ち取る。チェコの人々にとって実に誇り高きことなのだろう。

博物館を出て、再び通りを歩く。かなり大きな通りで飲食店も立ち並んではいるのだが、やはりどこか暗い感じはぬぐえない。きっとかつての共産主義時代もこんな感じだったのだろう。いや、いまよりもっと重苦しい雰囲気だったのかしら。街並みは大変美しいのだが、雰囲気はどこか重たい。フランス、スペイン、ドイツと、いわゆる西側諸国と比べて、旧共産圏である東側の国の雰囲気がここまで違うとは思いもしなかった。

ホテルへ戻る前に、プラハで一番大きいヴァーツラフ広場へ行ってみた。ここは共産主義に対抗する革命運動の中心となった場所。まだ午後の7時を回ったばかりたが、人通りもまばらで、やはりどこか薄暗い雰囲気だった。