台湾再訪@一人で日本統治期の史跡巡り

台湾に日本統治時代の面影が随所に残っているというのは、この旅行記で何度も書いてきた。保安駅や飛虎将軍廟、豊田村花蓮など、数々の遺構を訪れてきた。

そんな僕が今回注目するのが、桃園神社だ。台湾中心部から1時間ほど、桃園国際空港がある街に、台湾で最も保存状態のよい神社跡がある。まさに灯台下暗しだ。

桃園駅からタクシーで10分ほど、桃園神社は想像以上に大きかった。

石段を登り鳥居をくぐると、雰囲気が変わった。神社特有の凛とした雰囲気だ。台湾でここまで訪れた神社は、鳥居などの遺構は残されていたが、当然神社としては機能していないため、神社特有の厳かな雰囲気は感じなかった。それが、ここ桃園神社にはあった。

境内を進むと、手水所、狛犬、拝殿と、ほぼ昔のままの形で残されていた。まるで日本にいるかのような錯覚を覚える。かつて、どれほどの人がこの神社にお参りし、祈りをささげたのだろう。今はもう、かつてのように祈りをささげる人はいない。しかし、ここ桃園の街には、日本の魂をもった神社が存在しているのである。

 

翌日、この真面目な流れに乗り、嘉義近郊の副瀬村を訪れた。富安宮という日本人警察官を祭ったお堂があるのだ。

嘉義駅まで台湾新幹線にのり、そこからバスに乗り換える。途中、朴子という比較的大きな街を抜けると、副瀬村につく。バスを降り、さびれた集落を歩くと富安宮だ。

お宮に入ると、目の前の祭壇には警察服を着た像が安置されている。その名も義愛公。

日本統治時代、ここ副瀬村に赴任した彼は、自分の財をなげうってまで村人のために尽くしたそうだ。彼がこの村を離れてからも、村人たちはその感謝を忘れず、そしてついには、彼を神として祭ったのである。

以前訪れた、台南の飛虎将軍廟では、村を救った軍人さんが祭られていた。こういった場所を訪れるたびに、かつての日本人はなんと素晴らしい方々だったのだろう、と感動する。

そして、改めて思うのである。現代に生きる僕も同じ日本人として見習わなくてはならないと…。

さて、かつての立派な日本人を見習って生きていく決意をした僕だが、嘉義への帰り道がどうしてもわからない。

集落をさまよってみてもバス停が見当たらず、当然タクシーもとまっていない。もちろん歩いて帰る根性などない。

そして僕は半べそをかきながらお宮へ戻るのである。

「タクシーを呼んでください(涙)」

とお願いするために…。

100年後に訪れたこの情けない日本人を見て、義愛公は何を思うだろう。涙をぬぐいながら、僕は副瀬村を後にした。