台湾再訪@何度目だ花蓮

台湾の東側は、日本でいう日本海側の風情がある。ようするに、さびれている。

その東側の中心都市が花蓮である。

かつて日本の移民が大勢訪れ、移民村が作られた花蓮の街には、独特の空気が漂っている。僕はその空気が大好きだった。

 

花蓮を訪れたときに必ず泊る宿がある。

その名も「金龍大旅社」(通称:Golden Dragon)。

名前だけは聞こえがいいが、1泊800元(3,500円くらい)の安宿である。

花蓮の駅からは3キロほど離れており、お世辞にも便利な宿とは言えない。

にもかかわらず、僕は7度の台湾の旅のうち、4度この宿を利用している。通算宿泊日数は実に10日を越える。

日本国内はもちろん、ヨーロッパや韓国など様々な場所を旅してきた僕だが、ここまで何回も利用した宿は他にはない。

先にも書いたとおり、ここは安宿なので、設備面では惹かれるところが全くない。テレビも旧式で数チャンネルしか映らない。シャワーはお湯が出るまで時間がかかるし、ようやく出たと思ったら、湯量がとても少ない。ちょろちょろである。

花蓮は太魯閣渓谷への玄関口でもあるため、綺麗で大きなホテルは街中にたくさんある。

それでも、花蓮を訪れると「金龍大旅社」を選んでしまうのは、宿のオーナーのおばちゃんが、日本語ぺらぺらだからなのである。

 

大学のサークル合宿で初めて台湾を訪れた際、中国語が通じず、打ちのめされていた僕たちを優しく迎え入れてくれたのがこのおばちゃんだった。(『台湾紀行』参照)

初めて一人で台湾を旅し、1日半で台湾を3/4周するという奇行を働いたときにも、おばちゃんは優しく声を掛けてくれた。(『ぼっちで台湾』参照)

そして、リベンジを期した学生最後の旅で訪れた際にも、おばちゃんはいつものように僕を優しく迎え入れてくれたのである。(『台湾リベンジ』参照)

 

『台湾リベンジ』から実に6年半、本当に久しぶりに花蓮を訪れた僕は、社会人となりお金もそこそこ持っているにもかかわらず、駅前の中級ホテルではなく、やはり「金龍大旅社」へやってきた。

 

「はいはい、いらっしゃいね。お一人ですか?」

フロントに現れたおばちゃんは、僕を見るなり、いきなり日本語で話しかけてきた。

10泊もしていながら、たいしておばちゃんに絡むこともなかった内気な僕のことは、きっとおばちゃんは覚えていない。なので、おばちゃんにとっては、毎回毎回が初めての出会いである。しかし、一瞥しただけで日本人とわかるのがすごい。台湾人と日本人はやはりどこか異なるのだろうか。それとも、この宿には日本人くらいしか来ないのであろうか。

おばちゃんにとっては初めてでも、僕にとっては6年半ぶりの再会である。姿かたち、そしてキャラもまったく変わらないおばちゃんが懐かしくって仕方ない。

 

「太魯閣渓谷いくでしょ?明日のあさここからバス出るから!」

こちらは行くなど一言も言っていないのに、当然のように太魯閣を勧めてくるおばちゃん(6年ぶり4回目)。あいかわらずである。

しかし、社会人になり「誘いを断る」技術を得とくした僕は、そのお誘いをやんわりとお断りし、そのかわりに自転車を借りて、花蓮の街を散策することにした。

地球の歩き方」最新刊にも書かれているが、この宿ではなんと無料で自転車を借りることができるのだ。

「自転車これ使ってね!鍵もかかるから!」

そういっておばちゃんが持ってきた自転車は明らかに子供用だった。小学生あたりがよく乗っている、ちょっとイキったデザインの青い自転車。190㎝近い身長の僕には小さすぎて、自然と股を開いた「ヤンキー走り」になってしまう。

おいっ!とつっこみを入れたいところだが、無料で貸してもらっているだけに文句は言えない。おとなしくサイクリングへ出発だ。

「いってらっしゃ~い。きをつけてよ~」

 

時代錯誤な「ヤンキー走り」で原チャやタクシーが入り乱れる花蓮の街中を爆走する。

そういえば、『ぼっちで台湾』で20㎞先の清水断崖を無謀にも自転車で目指した時にも、たしかこのマシーンだったっけ。じつに7年ぶりの奇跡の再会である。というか7年も使い古すんじゃないよ…。絶対息子が子供のころ使っていた自転車だろ…。

 

年季の入った子供用自転車ではさすがに何キロも進むことはかなわない。それでも、賑わう市場やアパートの立ち並ぶ住宅街、そして昔、特攻隊員が出発前に集められたという建物などを次々と回った。

台北や高雄に比べて、花蓮の街はそれほど大きくない。街をめぐっても、他の台湾の街とは違った落ち着いた雰囲気が流れている。6年前に歩いて回った時にも同じことを感じた。やはり、この雰囲気が僕はとても好きだ。

そして2時間も「ヤンキー走り」をしていると、僕の股は限界を迎えるのだった。

 

痛みをこらえホテルへ戻ってきた僕は、「アミ族のショーは7時からだよ~」という、これまた過去の旅で嫌というほど聞いた誘い文句に乗せられるがまま、花蓮の夜の定番メニューをこなした。以前の旅行記でも散々ふれたショーだが、6年たっても全く変わっていないのが逆に楽しかった。

バッティングセンターで体を鍛えたのち(6年ぶり4回目)、ホテルの周りをぶらぶら散歩した。

6年ぶりの花蓮の街は、思ったよりも変わっていた。

もともとホテルのあたりには、旧花蓮駅があったそうだ。僕が初めて訪れた8年前にはすでに駅は移転していたのだが、その名残がまだ随所に残っていた。

ホテルの前の広場はきっと駅舎の跡。ホテル横のバス停は、かつてのバスターミナルの名残だと思われた。

今回訪れてみると、ホテル前の広場には夜市が立ち並んでいた。自然発生的に立った夜市というよりかは、行政主導で設置されたという感じだった。

以前訪れたときには薄暗かったホテル周辺は、そのおかげで随分と明るく、そしてにぎやかになっていた。

「こうして街は変わっていくんだろうなあ」

バッティングセンターで痛めた腰をさすりながら、広場の片隅でしみじみ思った。

 

宿を発つ日の朝、バスの出発前におばちゃんに挨拶しようと、ホテルの隣にあるお土産物屋さんへと向かった。

こちらもおばちゃんが経営しているようで、ホテルのフロントにいない時には、たいていお土産物屋さんにいた。店の中をのぞくと、おばちゃんは一人のおじいちゃんとおしゃべりに花を咲かせていた。

「このおじちゃん、先生よ!」

「そうそう!えらいせんせいよ!」

「違う違う!遊びの先生!遊んでばかりいるよ!」

おばちゃんとおじいちゃんの掛け合いは、まるで幼馴染のようだった。そして2人の自然な日本語を聞くと、ここが台湾とは到底思えない。2人とも、日本統治時代に青春時代を過ごした世代の人間なのだ。

おじいちゃんが持っていたラジオからは、なんと夏の甲子園の実況が流れていた。

花蓮は日本のラジオが入るんだ!これが毎年の楽しみね!」

「そうそう!おじちゃん聞いてばっかりで仕事しないんだから!」

異国の地で、高校野球の実況と日本語のおしゃべりを聞きながらバスを待つ。なんとも不思議な感覚なのである。