ヨーロッパ紀行 第21夜 フィレンツェ
ゴーンゴーンゴーン…
どこからか鳴り響く教会の鐘の音。そのあまりのうるささに目を覚ました。時計を見ると、朝の6時半。まだ寝ていたいが妙に頭はさえている。日本ではもうお昼すぎ。これが時差の力なのだ。にもかかわらず、奥さまはまだ眠ったまま。よほど昨日の移動がつかれたのだろう。
目が覚めてしまった僕は、カーテンをあけ、窓の外を見てみた。
するとそこには一面に広がる赤茶けた屋根の家々。
そして、その奥には、朝焼けに輝く円形のドームのようなものが見えた。まさかあれがドゥオーモ。竹野内豊がのぼったというあのドゥオーモ…。思い描いていたフィレンツェの風景が窓の外に広がっていた。
早く街にでたい衝動にかられた僕は、奥さまを叩き起こし、ベッドから引きずりだし、窓の外をみせて無理やりテンションをあげさせた。
教会のホールのような立派な食堂で朝ご飯をたべ、早速外へ出てみる。
昨日は真っ暗で気づかなかったが、ホテル周辺はまるで世界名作劇場の一場面のようだった。石畳の道、赤茶けた屋根をのせたレンガ造りの建物、そしてその奥に見える教会…。
いままでいろいろなヨーロッパの街を巡ってきたが、ここまで中世の世界に引きずりこまれた街は初めてだった。スペインのトレドよりも、チェコのプラハよりも。冗談ではなく、本当に思い描いていた中世の街、「世界名作劇場」そのものなのである。
奥さまも大変感激した模様で、昨日のフランクフルトの時よりもよほどテンションが高かった。さすがイタリア、さすがフィレンツェと言わざるをえない。こりゃ、世界中から観光客来るわ…。
しかし、そこはやはりイタリア。石畳の中世の街並みの中を、クラクションをガンガンに鳴らした車が疾走していく。ちょうど朝のラッシュ時なのだろう。その一方で、通り沿いに建つ教会では、厳かな朝のお祈りが行われていた。中世と現代が入り混じったその景観は実に楽しいものだった。
ホテルから5分も歩くと、ドゥオーモの建つ広場に出た。まだ朝の8時過ぎということもあり観光客もまばらだった。
そして、目の前にそびえたつドゥオーモは、僕の想像していた何倍も大きかった。
なんだろうこの迫力は…。
いままでヨーロッパで見てきた教会はとんがり屋根の建ったシュッとした感じのものが多かった。ドゥオーモのような大きなドームを持った教会は初めて見たが、迫力が段違いである。
ドゥオーモの横にそびえたつ教会の塔へとのぼり、ドゥオーモ越しにフィレンツェの街並みを眺めてみる。トスカーナの丘に囲まれた街は赤い屋根の家々が立ち並び、大変美しかった。本当に中世の時代からこの風景はかわっていないんだろうなあ。
街のはずれの丘の上をみると、何やら人だかりができている。おそらくあそこが「ミケランジェロ広場」だろう。フィレンツェの街を一望するその広場こそ、僕たちが今回の旅で目指す最重要ポイントなのである。
奥さまが大学時代、友達だか先輩だかに絵をプレゼントされたそうだ。丘の上からフィレンツェの街を一望する奥さまを描いた絵…。
なぜそんな絵をかいてもらったのかは謎なのだが(一説によると、そんな夢をみたとかみないとか)ようするに、絵の舞台となったその場所へどうしても行ってみたい。そんなわけで、今回の旅はイタリアを選んだのである。
塔をおり、フィレンツェの街中をさまよいながら、うわさのミケランジェロ広場を目指す2人。中世の街並みがそのまま残っているだけあって、道が細い。そして、どこへ行っても人で埋め尽くされている。さすがは観光都市だ。街が広くない分、人口密度がものすごいことになっている。
なんとかその人だかりを突破し川辺へ。そこから一気に広場までの坂道を這い上がる。わずか数行でさらっと書いたけれど、塔からは、すでに1時間近く歩いている。そして最後にこの鬼坂である。美しい景色を見るためには苦労が必要なのだ。
『若いころの苦労は買ってでもしろ』
のび太のパパが言っていたっけ。
そんなことを思い出しながら(どんなことだ)坂を登っていく。到着した時の感動を何倍にも増幅させるため、広場へ到着するまでは決して後ろを振り向いてはいけない…。
そしてついに…。
方法の体で到着した広場からは、まるで絵画のような風景が広がっていた。
真っ青な空と赤い屋根のフィレンツェの街並み。まさに「冷静と情熱のあいだ」の世界である。竹野内豊の姿が目に浮かぶようだ。
どうだ、これこそがあなたが会いたがっていた景色だろう!
と、奥さまを振り返ると、『う~ん、たしかにキレイだけれど、なんか違うなあ…』
…。
奥さま曰く、絵の中の彼女は、夕焼けに照らされた街並みを眺めていたらしい。たしかに、旅行のパンフレットなどでも夕暮れ時の風景がよく掲載されている気がする。
仕方がない、出直しだ…。
ミケランジェロ広場を一度離れた僕たちは、ドゥオーモ広場でピザを食べ、主だった観光地(教会)をめぐり、広場のあちこちに立っているおみやげ物屋台を物色しながら日が暮れるのをまった。
しかし、フィレンツェの街というのはいたるところにおみやげ物の屋台(というか、スタンドみたいなの)が出ている。観光地だからなのか、それともイタリアだからなのか。ドイツにはこんなに屋台でていなかった。あ、でもパリには少しあったかも。さすがはラテン民族の国。商魂たくましいのである。
そして、なぜか道端にまで売り物が広げられている。これがまたきわどい位置に置いてあるため、踏みつけそうになる。たぶん踏んだら弁償させられるんだろうなあ。さすがはイタリア。実に商魂たくましいのだ。
さて、一度ホテルで休憩を取ったのち、あらためてミケランジェロ広場を目指す。
現在午後7時。空はまだ青い。これこそがヨーロッパの夏なのである。
基本的に僕たちの旅は夜に出歩くことがほとんどない。ギャンブルや飲みを好まないこともあり、ホテルでテレビを見ながらうだうだするのがお決まりの行動だ。
そんな2人が、夜の7時から徒歩1時間かけてミケランジェロ広場を目指すという。時差ボケと疲労のなか、広場までの坂を登るのは正直厳しすぎだ。
それでもなんとか、歩き疲れて棒になりつつある足を引きずりながら、絶景のために広場を目指す。
『若いころの苦労は買ってでもしろ』
美しい風景を見るにはやはり苦労が必要なのだ。のび太のパパも言っていたではないか。
そして、広場があと50メートル遠かったら確実に倒れていたであろう。そのくらい死が差し迫った状況でたどり着いたミケランジェロ広場からは、信じられないぐらいの絶景を見ることができた。日に照らされたフィレンツェの街は昼間よりもさらに赤く輝いており、いままでヨーロッパで見たどの景色よりも美しかった。
どうやら思い描いていた風景そのものだったらしく、奥さまも夢中で写真を撮っていた。僕はというと、最後の鬼坂で力尽き、美しい風景をみながらダウン。広場の片隅で座り込んで、一心不乱に写真を撮り続ける奥さまを眺めていた。これだけ感動してくれるのなら、イタリアへ連れて来たかいがあるというものだ。
しかし思った。
ホテルまでまた歩くんだよなあ…、1時間…。