ヨーロッパ紀行 第23夜 バチカン
『すべての道はローマに通ず』という格言がある。
その当時のローマ帝国の繁栄ぶりを伝える言葉なのだが(たぶん)、学生時代、「本当にすべての道はローマに通じているのかしら?」という疑問を持った僕は、中国から陸路でローマを目指そうというふざけた旅を計画した。
結局、世界情勢の悪化(主に中東)、金銭的問題、そして僕のメンタルの問題(ようするにへたれ)により断念したのだが、こうしてほぼ空路でローマまで来てしまうと、
「ああやっぱりあの時、陸路で来なくてよかったなあ」とあらためて思うのである。10年たってもヘタレはなおっていないのだ。なんのはなしだ。
さて、今日はバチカン市国を訪れる。
ローマ市内の一角にポツンと存在する世界最小の国。
そのあまりにも有名なこの国は、果たしてどんな場所なのだろう。
国境線はどうなっているのか?
どんな国民が暮らしているのか?
というかそもそも人が住んでいるのか?興味はつきない。
ローマテルミニ駅から地下鉄に乗りCipro駅で下車、そこから徒歩5分ほどでバチカン市国だ。
駅から徒歩5分にある国って…、学生のアパートかよ…。などと思いながら、前方に長蛇の列を発見した。
えっ?国に入るのに列に並ぶの?朝9時だぞ。
よくわからないながらもその列に並ぶ僕たち2人。
9時を過ぎると徐々に列が動き出す。バチカン市国は入場時間が決まっているのだろうか?
そして前方に現れる券売所…。おいおい遊園地か?
そして、割と高額なチケット(1人2,000円!)を2人分買い込み、いざ入国。入国するのに金をとるとは、なんとも世知辛い世の中である。
入国後にあらためて確認してみると、どうやら先ほどの列は「バチカン美術館」へ入館するための列で、いま僕たちがいるのはとりあえず美術館のなかのようだ。
ただ、当然のことながら美術館はバチカン市国内にあるため、入国に金がかかるというのもあながち冗談ではないであろう。国境もなにもあったもんじゃない。気づいたら裏口からバチカン市国へ侵入していたようだ。
バチカン美術館は、さすがバチカンが管轄しているだけのことはあり、1個1個の美術品がとても大きく、そして古そうだった。
バチカンの至宝をみても「大きい」「古そう」と、小学生並みの感想しか出てこないのは、やはり美術の成績が「4」(10段階)と美術的な感性が皆無だからである。
それでも、美術にうとい僕でもさすがに知っている、有名なシスティーナ礼拝堂は、さすがの迫力だった。
イタリアを訪れる数年前、僕たちは徳島県の大塚国際美術館でシスティーナ礼拝堂のレプリカ?に大変感動したものだが、本物はレベルが段違いだった。
そして礼拝堂内で騒ぐ観光客を一喝しているバチカン職員には大変好感が持てた。日本の観光地では、ここまで厳しく注意はできない。
美術館を出てしばらく歩くと、いよいよバチカンの中心、サンピエトロ広場のお出ましだ。テレビやガイドブックで飽きるほど見たこの広場は、さすがの迫力。
大聖堂を背にして振り返ると、小さな柵(というかロープ?)があり、そこから先がローマ。つまりこれこそが国境というわけだ。
…。
あまりにもショボすぎて国境感がまるでない…。
それでも、旅人の必修科目である、国境に立って「体の半分はイタリア!もう半分はバチカン!」というお決まりの儀式を執り行い、広場で奥さまの友人の結婚式用のムービーを撮るなどという、キリスト教の聖地においてなんて罰当たりなことを、とローマ教皇に怒られそうな活動をさんざんしでかして、バチカンを後にした。
その後は、よくわからないお城やいろいろな教会、おなじみスペイン広場やトレビの泉など、「地球の歩き方」を参考に観光地を片っ端から訪れた。
金曜ロードショーで見て以来、僕は「ローマの休日」のファンになった。タイトルどおりローマで撮影された映画だけあって、ローマを歩いているとそこら中で映画でみた風景と出会える。
そのなかでも、一番感動したのはやはりスペイン広場で、ほかの観光客にまじって「ローマの休日」ごっこをするなど、実に観光客らしい模範的な行動をし、1日をすごした。
ちなみに、ローマでもトップクラスの観光地であるトレビの泉では、定番のコイン投げが禁止されていた。「泉に背を向けてコインを投げ、見事に入るともう一度ローマを訪れることができる」という胸キュンスポットなのに、なぜだろう。
こんな具合で、早朝から丸一日観光に明け暮れ、気が付けば午後の6時。夜ご飯の時間である。
正直な話、今回の旅は新婚旅行であり、真面目に、そして普通に観光をしているだけなので、いつも以上にさらに面白いエピソードはない。
せめて夜ご飯レポートでエピソードを増やすしかないのだが、「旅でおいしかったグルメランキング」の2位に「高知県のコンビニの塩焼きそば」をランクインさせるくらいグルメでない僕には、話を広げられる自信がない。
というわけであったことを淡々とありのままに書くことしかできないのだが、要するに僕たちは食堂に入れない。
英語もイタリア語もできないし、そもそも人見知りなので話しかけることができない。異国の地で見知らぬ食堂に入るなんて、レベルが高すぎる。結局フードコートや屋台飯に逃げてしまうのがお決まりの流れなのだ。
一人旅のときでもそうだったが、奥さまも僕と同程度の語学力及び人見知りなので、2人になってもさほどかわらない。フィレンツェではテイクアウトのピザ屋とサンドウィッチ屋に大変お世話になり、シエナでも広場で声をかけられるがまま観光客値段のカフェへホイホイついていってしまった。ローマ初日も、三越近くの明らかに日本人目当てに営業していたお店にしか入れなかったのだ。
さてどうしたものか…。
『Oh!Japanese!モドッテキテクレタノ!イラッシャーイ!』
ホテルまでの道をとぼとぼ歩いていると、ホテル近くの食堂からお決まりの声が。
ここまであれほどウザいと思っていた中年おじさんの客引きの声が、この時ばかりはまるで天使の声に聞こえた。そして、天使の声に導かれるがまま入店…。
『Oh!アリガトウ!コレニホンゴメニュウー!コレガパスタ、コレガゴハン!』
「じゃ、じゃあこれとこれ。ワインなんかも頼んじゃおうかなあ…」
『オッケーオッケー!ノミモノハイツ?ショクゴ?』
「えーっと、いますぐほしいです」
『オッケー!ジャアイマスグモッテクルネ!』
「はーい」
彼は実にナイスガイである。
このお店に入ってからというもの、僕は日本語しか話していない。なんと素晴らしきお店なのだろう。
メニューも日本人になじみのあるものばかりで、注文したカルボナーラととっても大きなピザ(イタリア人は、おばあちゃんレベルでも一枚丸々一人でたいらげてしまう!)は、大変おいしかった。
ヨーロッパに来て悩まされることの一つに「食事が合わない問題」がある。この旅行記でも頻繁に触れていたが、毎食パンばかりで嫌気がさし、ようやく見つけた中華料理屋で頼んだチャーハンにはピーナッツソースがかかっている。そんなつらいことが何回もあった。しかし今回のイタリアでは、パスタとピザという日本でもおなじみのメニューがあるため、なんとも心強い。しかも、たとえ屋台のピザでも、日本の何倍もおいしいのだ。
そして、なんといっても日本語が通じるというこの安心感。言葉の力は実に偉大なのである。